絹人往来

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機織り修業 いつか自分だけの作品 小林 靖子さん(39) 桐生市広沢町 掲載日:2007/09/06


「数をこなし、技術を体得したい」と意欲をみせる小林さん
「数をこなし、技術を体得したい」と意欲をみせる小林さん

 大学ノートに図入りの文字がびっしり。機織り言葉、数字入りの作業手順が克明に記されている。伝統的な柄を生み出す糸の配色、織機の動かし方や、「糸の始末に注意。結ぶ糸は長めに切る」など、仕事で気付いた点も詳細に書かれている。
 「ノートは機織りを始めた時につけ始めた。織機のガチャガチャという大きな音で、先輩のアドバイスを聞き取るのも大変。1度教えてもらったことを忘れないようにしたかった。そろそろ1冊目がいっぱいになってきた」
 東京で就職。子供の出産に合わせて桐生に帰郷した。小学5年の長女、小学3年の長男を夫とともに育てながら、販売員として働いていた。
 「自分に付加価値をつけられる新しい仕事を探した。行き着いたのが、地場産業の織物。織機や工場はたくさんあるのに、織る技術を持つ職人さんは確実に減っている。10年後を想像したらぞっとした。もったいないと思った」
 昨年6月末、母親が働いている正絹の古典柄を織る老舗、江雅織物工場に入った。子供の時、面白さと怖さ半分で探検して回ったのこぎり屋根の工場が今は仕事場になった。初めは江雅の仕事全般を学んだ。
 初めて織機の前に立ったのは3カ月後の10月。「バッタン」などパーツの名前を覚えるのも一苦労。慣れない1日中の立ち仕事に戸惑ったが、苦労を重ね、織り機を2台同時に扱えるようになった。
 「機屋は帯が織れなければ話にならず、織機は基礎知識が無ければ動かない。急に上達することは難しいが、直接見なくてもシャトルが入る音の違いを耳で聞き分けられるくらいになりたい」
 ジャカード織りは、織機から出すまで表面が直接見えない。作業途中は手鏡で裏からチェックする。
 「初めて織り上げた完成品の帯を取り出した時、とても美しいと思った」
 職人は数と失敗をこなして技を体得する。今は単純な絵柄を中心に織っている。
 「技術を体に覚え込ませ、将来は経たて糸の多い、自分だけの織物を作りたい。機屋に教科書はないというけど、ノートは早めに卒業しなきゃ」

(桐生支局 五十嵐啓介)