絹人往来

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種製造 繭敷き詰め交配、産卵 飯塚 金弥さん(69) 太田市前小屋町 掲載日:2006/12/6


カイコガの交配に使った機材を前に養蚕の仕事を語る
カイコガの交配に使った機材を前に養蚕の仕事を語る

 「春蚕の繭がとり終わると、組合の作業所に通ったもんだ」。子供のころから目に触れ、体で覚えてきた養蚕業。中でも「種製造」と呼ばれる6月の仕事は忘れられない記憶として心に残っている。蚕の成虫、カイコガの雌雄を交配させ、産卵させる作業だ。
 尾島町にあった県是蚕種協同組合尾島出張所の作業所に行くと、1棟12畳(約20平方メートル)ほどの広さの室内に、10段ほどに分けられた棚があり、何千もの交配用の繭が敷き詰められていた。
 「その繭から体長3センチに満たないようなガが羽を震わせながら出てくる。それを木の皿で一つ一つ拾うんだ」
 拾ったガは用意しておいた1メートル四方の作業台に置く。先に雌。次に雄。作業中にカイコガから出る鱗りんぷん粉が宙を舞った。
 「粉が飛んでせき込んじゃう。もう暑い時季なのにマスクをしなくちゃならなくて大変だった。粉を吸うことにもなるし、体には良くない作業だったのかもね」
 交配させた雌雄は夕方には離され、晩のうちに産卵が始まる。作業台に敷いた紙に、直径1ミリ程度の薄いクリーム色をした卵が産み付けられる。「黄色がかっていてきれいだな、と思ったよ。輝いていた」
 翌日の夜明けとともに前橋市にあった組合本部に運んだ。「6月中はそんな作業を断続的にやったんだよ」
 江戸時代から養蚕業を営む地元の豪農の家に生まれた。曽祖父の金太郎さん、祖父の理喜三さん、父の正治さん(いずれも故人)の仕事の足跡を記す史料、養蚕に使った農機具も数多く残っている。
 「昔は組合の作業でなく自分の家で『種屋』をしていた。交配させて卵をとっていた」
 時代は移り変わる。妻の須賀子さん(65)と1964年に結婚。毎年6月の恒例でしばらく続いていた「種製造」の仕事も、70年代に入ってヤマトイモ作りに家業の軸足を移すと、次第に遠ざかった。
 「先祖代々続けてきた養蚕の仕事。いい繭がとれた時は気持ちいいし、できれば続けたかった。でも中国から安い繭が入ってきたから太刀打ちできなかったね」

(太田支社 塚越毅)