絹人往来

絹人往来

賃機 夫婦でがむしゃらに 斎藤 都さん(78) 伊勢崎市西久保町 掲載日:2007/3/15


「元気でいる限り、現役を続けたい」と話す斎藤さん
「元気でいる限り、現役を続けたい」と話す斎藤さん

 織物業者から工賃をもらって機を織る賃機(ちんばた)。大正の後半から昭和初期にかけて、旧赤堀町でも盛んに行われた。ガシャン、ガシャン…。斎藤家の自宅内にある14畳の作業場では、今でも織機の音が響く。
 「ネクタイやクッション、壁掛け、のれん、ひざ掛けなど織る物の種類はさまざま。注文に応じて何でも織り、出来上がった製品は無地のまま東京の手芸品専門店に出している。どのような刺しゅうがされ、きれいになるのかいつも思い浮かべながら織るんだよ」
 川崎市に生まれた。女学校を卒業し、飛行機部品を製造する倉庫で働いていたころ、空襲に遭い、父の実家がある旧新里村へ移り住んだ。
 「20歳の時、手織り業をしていた夫との結婚を機に、機織りを始めた。知識は何一つなかったから、夫に教わりがむしゃらに覚えた。二人三脚で商売に励んでいたよ」
 40代でリウマチを患い、糸も針も持つことができない日々が続いた。
 「つらかった。医者や温泉に通っても治らなかったけど、織物は良いリハビリになった。腰をかけて織ることも負担を減らしてくれた。今でも家事は不自由なくできるよ」
 1980年に旧赤堀町に生活と仕事の場を移した。夫が他界してからは、一人で斎藤家の機織りを支えている。
 「うちのは糸が太いのが特徴。ほとんどの工程は一人でこなすが、縦糸を引っ張るのだけは息子に手伝ってもらう。幅の狭いものから広いものまで、種類もたくさん織れたからここまでやってこられたのかもね」
 機織り歴50年以上のキャリアは、日常生活にも彩りを添える。
 「余った糸で簡単な小物を作るんだよ。テーブルクロスや花びんの敷布にしたり、孫へのプレゼントを織ったり…。家の中が華やかな雰囲気と手織りの温かさに包まれるのがうれしくてね」
 最盛期より注文は減ったが、自宅に居ながらできる機織りの魅力を再認識している。
 「昔は織れる分だけ織ったが、今はのんびりと織機の木のぬくもりを感じながら楽しく機織りをしているよ。斎藤家の機織りは自分で終わりだが、元気でいる限り、そして自分の織物を必要としてくれる人がいる限り生涯現役で頑張りたい」

(伊勢崎支局 堀口純)