絹人往来

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買継ぎ 流行読む目大事に 池田 正良さん(81) 伊勢崎市東本町 掲載日:2007/4/11


「安くて丈夫で、流行を敏感に取り入れていたところが伊勢崎銘仙の魅力だった」と語る池田さん
「安くて丈夫で、流行を敏感に取り入れていたところが伊勢崎銘仙の魅力だった」と語る池田さん

 「伊勢崎銘仙の良さは、安くて丈夫なところ。時代の流行に合った柄がそろい、魅力的だった。本当に良い物ばかりで、自信を持って各地の業者に勧めてきた」
 1947年に伊勢崎市で買継ぎ商を営んでいた栗豊に入社し、営業部長として腕を振るった。36歳で常務取締役に就任。退社するまで30年間、伊勢崎銘仙の発展に尽くした。
 買継ぎ商は、京都や大阪など大都市から仕入れに来た業者を織物屋まで案内し、契約を成立させるのが主な仕事。最も必要なのは、流行を見極める目。さまざまな土地から買い付けに来る業者のニーズに合うよう、機屋の指導もした。
 「売れる柄を作れば各地の業者が伊勢崎銘仙を買ってくれる。時代の流れを敏感に読み取って柄にこだわったり、織り方を工夫させたりすることに力を入れた」
 当時は足利や八王子、秩父など各地の銘仙と競ったが、伊勢崎銘仙の販売力が際立っていた。
 「買継ぎ商という商売があったからこそ、全国各地へ伊勢崎銘仙が広がった」
 53年ごろから伊勢崎銘仙にも、陰りが見え始める。「なんとかまた売れる商品にしたい」と奔走し、着物と羽織を一対にしたアンサンブル銘仙を売り出したり、これまでの絹に変わってウールを原料にした着物を研究した。
 「ウールを原料にした着物への転換期は大変だった。試行錯誤を繰り返し、やっと製品化にこぎつけた。売れるまでに半年、軌道に乗るまで二年かかった。本当に苦労した」
 97年からは、栗豊でともに伊勢崎銘仙の発展に力を尽くしてきた職場の仲間たちと「絆(きずな)の会」を結成した。
 「関東近県を一緒に旅している。昔の仲間とのひとときは自分にとって本当に楽しい時間になっている」

(伊勢崎支局 伊草実奈)