絹人往来

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蚕種製造 全国から買い付け 古屋 節夫さん(72) 富士見村原之郷 掲載日:2006/08/25


今も自宅で栽培している桑を手に語る古屋さん
今も自宅で栽培している桑を手に語る古屋さん

 外食店が集積し、週末ともなれば家族連れでにぎわう前橋市岩神町の複合飲食店「繭の杜」。2000年までの半世紀、ここに県是蚕種協同組合の蚕種製造所があった。養蚕が華やかなころ、組合は活気にあふれ、国内はもとより海外からも施設を視察するためにたくさんの人が訪れた。
 「蚕は農家の現金収入として、本当に役に立った。(組合は)農家に種を売ったり、小さい蚕を育てる仕事もしていた。大手製糸会社も含めて、日本中の種屋はすべてうちに買い付けに来ていたんだよ」
 製造所の誕生とともに組合職員として働き、最後の理事長を務めた古屋さんは誇らしそうに往時を語る。
 養蚕が盛んな富士見村で、蚕種の製造販売を営む家に生まれた。空気の通りが良いよう簡単に開け閉めできる戸板、2階に蚕を広げる時に邪魔にならないよう1階までしかない大黒柱など、蚕を快適に飼育するために造られた家で、蚕に囲まれながら暮らしていた。
 「寝ているときに、何かが顔に当たるのを感じ、触ってみたら蚕だった、なんてことは日常茶飯事。祖父も父もやっていたので、子供のころから養蚕をすることが使命と思っていた」
 蚕種販売を始めた祖父、清太郎さんは蚕の生産だけでなく、桑の接ぎ木の達人でもあった。自ら考案した接ぎ木法は「古屋式イ字型接ぎ木法」と呼ばれ、弟子を連れて、富士見や前橋の農家を精力的に指導し、栽培効率の向上に貢献した。
 「祖父は仕事に厳しく、若いころはよく怒られた。あした蚕に食べさせる分の桑がないと、夜中でも畑に取りに行かされたもんだよ」
 養蚕の衰退に伴い、組合は2000年、蚕種の生産販売から撤退。岩神町の施設を引き払い、富士見村原之郷に移転した。
 「第3セクターにして存続させようという話もあったが、県に迷惑をかけたくなかったので断った。施設の方の粋な計らいで、『繭の社』というように繭の言葉を残してくれたと聞いた時は、本当にうれしかった」

(前橋支局 市来丈)