絣しばり 句に詠む仕事への誇り 安野 寿次さん(79) 伊勢崎市長沼町 掲載日:2007/2/17
今年初めての仕事。作業場に張られた糸と安野さん
花に遠く花より華麗に 機糸張る
今を盛りに咲き誇る桜。その花にも負けないように華麗に機糸を張る―。仕事への誇りを詠み込んだ。
「いつごろ詠んだ句か正確な年は分からないが、仕事が忙しい時に作ったことは確かでしょう。俳句は1958年から始めた。いつのころからか仕事を詠んだ句は作らなくなった。今は伊勢崎市民俳句会の会長を務めている。この句は桜の季節に花見にも行けずに仕事をしていることを詠んだ句だ」
伊勢崎絣(がすり)は各工程ごとに独立した分業形態をとる。携わってきた絣(かすり)しばりは、糸を染める前にハトロン紙を糸に巻いて綿の糸で縛る作業。糸が染め上がった後、ハトロン紙は外され、その部分は絣の一部になる。今はハトロン紙がビニールになったが、作業は変わらない。
「出来の良しあしが伊勢崎絣の命ともいえる絣の完成度に直結した。私の仕事で絣が出るか出ないかが決まった。一カ所間違えばすべて駄目になってしまう。だから失敗は許されなかった」
東京の会社を辞めて伊勢崎に戻り、父、平八さんの仕事を手伝うようになったのが終戦後の48年。だが、体調を崩していた平八さんは翌49年1月、50歳で亡くなった。
「父は仕事を一つ一つ丁寧に教えてくれたが、亡くなるまでの約1年で仕事のすべてを覚えられるはずもなかった。誰にも教わらず、自分で工夫しながらやってきた。でも初めての絣の時は、うまくいかないこともあった」
70年を挟んで数年が一番忙しかった。
「忙しい時こそ、仕事はしっかりこなした。仕事は屋外だったが、忙しい時には家の中に持ち込み端から端まで糸を張って、寝る間も惜しんで仕事をした。それもあってその後、作業場を造った」。だが、4、5年でピークは過ぎた。
「仕事は20年ほど前にやめたが、今でも時々、依頼されることがある」という。仕事を待っていた作業場に、糸がぴんと張られる。
工帽を横ちょにかむる あたたかさ
「俳句を始めたばかりのころ、無我夢中で働いていた30代の時に詠んだ句でしょう」
張り切って仕事に励む若々しい姿が浮かんでくる。