衣笠様 養蚕に汗した女性守る 田中 正一さん(76) 渋川市北橘町八崎 掲載日:2006/06/16
地域の人の信仰を集めた衣笠様
かつて養蚕が盛んだった渋川市北橘町八崎地区。道路沿いの木立の中に、地域の人たちが養蚕振興を願った「衣笠様(きぬがささま)」の石塔が建っている。石塔には「女人講」の文字が刻まれており、同所で養蚕農家をしていた田中正一さんは「養蚕の主力は女性。男衆が女性のために建てたのだろう。男女共同参画のはしりみたいな地区だったんだよ」と話す。
衣笠様について、田中さんの友人で、市文化財調査委員の今井登さん(78)=北橘町真壁=は、「養蚕の神様は東北地方では『オシラサマ』と呼ばれ、この地域でもオシラサマといったり、衣笠様といって信仰してきた」という。
八崎の衣笠様は1969年、それまで建っていた場所に、地域の稚蚕共同飼育所が建設されることになり、現在地に移設された。田中さんは振り返る。
「毎年4月13日には衣笠祭りが行われ、酒や赤飯をお供えした。戦後の一時期、衣笠様の近くで、演芸会が行われ、招かれた人や地域の人が踊ったりしたこともあった。夏になると八木節のけいこをしたこともあり、地域住民にとって衣笠様はよりどころだった」
衣笠様が現在の場所に移設されたのに伴い建設された飼育所は、掃き立てから3齢までの稚蚕を当番制で面倒をみる施設。主任は男性が務めたが、主力はここでも女性だった。農協などから講師が来て養蚕を指導する養蚕講話も、出席するのは女性が中心で、熱心に取り組んでいたという。
このため、養蚕シーズンが終わると、女の人を慰労するための“養蚕旅行”が行われた。近県の観光地に1泊で出かけることが多く、田中さんは「主任をしていた時に伊豆に同行したことがある」と話す。
「飼育所があったころは、地域の交流が盛んだった。みんな蚕を一生懸命やっていたので、農家の軒下で情報交換したり、相談しあったり、何をするにも一緒だった」
地域から養蚕農家は消えたが、明治時代に建立されて以来、養蚕に取り組む女性たちを見守り、養蚕振興の願いを受け止めてきた衣笠様。田中さんら古老が大切に守っている。