絹人往来

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養蚕技術 母の勧めで知識習得 永井 なか子さん(78) 沼田市下久屋町 掲載日:2008/04/24


「地域の義務教育でも正規の教材として 製糸場を学習してほしい」と語る高橋さん
「地域の義務教育でも正規の教材として 製糸場を学習してほしい」と語る高橋さん

 「製糸場を受け入れた私たちの先輩、何もない場所に手作りで製糸場を建てた人々、推進した明治政府、外国人技師―。学習会を開き、建築上の価値だけでなく、自分を捨てて努力した人々の物語を伝えていきたい」
 弁護士としての仕事と並行して、旧官営富岡製糸場に関心を持つ個人、団体による「富岡製糸場を愛する会」の会長を務め、理解促進や愛護活動を推進している。
 愛する会は、教育用ビデオ、パンフレットなどをこれまでに製作。昨年度は車載ステッカーを作り、製糸場で陸上自衛隊の音楽会を開いた。会員は個人1330人と58法人に上る。
 片倉工業の操業停止(1987年)の時期から、富岡甘楽地域の有志が始めた勉強会が会の起こり。詩人だった父、辰二さんの友人らがメンバーで、活動に加わった。「単なる工場ではなく、日本の近代化の遺産なのだと自覚した」
 3代目の会長を引き受けた後、県が2003年に世界遺産を目指すプロジェクト発足を表明。この年、市内で開いた講演会「世界遺産への道のり」に500人を集め、推進運動に弾みをつけた。
 製糸場は現在、通年で開場しているが、本格的な整備活用は計画策定が始まったばかり。周辺商店街では見学者を意識した業種転換や開店も出始めたが、動きはまだ乏しい。地元ミニコミ紙や関連団体向け資料で、製糸場の1部公園化、まちなかの他の文化的遺産の整備推進などを積極的に提案している。
 旧額部村岩染(現富岡市)の農家に育ち、甘楽農業高校(現富岡実高)の定時制に学びながら農業に従事、養蚕も手掛けた。「繭の売り渡し先は関西、四国、東北などの業者。通学に製糸場の外周も通ったが、中には入れない。当時は地域との関係が希薄だった」
 3月に開かれた世界遺産フォーラムでは、英国の産業遺産関係者が地域ボランティアと行政の協働の大切さを強調した。愛する会の月例の製糸場清掃には、春から秋に100―150人、冬場でも50―100人が参加する。「繰糸場でも繭倉庫でも、実際に踏み込んでこそ愛着がわく。この輪をさらに広げていきたい」

(富岡支局 西岡修)