絹人往来

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交流 養蚕で地域ときずな 高橋 行枝さん(75) 太田市新田大町 掲載日:2006/07/4


「養蚕は地域の人と結び付きを強めてくれた」と話す高橋さん
「養蚕は地域の人と結び付きを強めてくれた」と話す高橋さん

 農家に生まれ、小学生のころから養蚕を手伝った。朝早い午前5時から蚕の世話をする生活。
 「蚕が日に日に大きくなっていく姿を見るのが好きで、つらいと思ったことは一度もない。当時、近所はどこも蚕を飼っていたから、これが当たり前の生活だと思ってた」
 7人兄弟の長女。率先して父母の仕事を手伝った。「半年近く手間をかけ、ようやく商品になる農作物と違って、蚕は1カ月くらいで商品になった。養蚕期間の5―10月は毎月収入があった」。養蚕が家計を安定的に支える収入源であることを子供ながら自覚して、頑張った当時を振り返る。
 子供のころは、繁忙期になると人手不足から近くの人が手伝いに集まり、生活をともにする日が続いた。「一緒にご飯を食べたり、かまってもらったり、毎日にぎやかで楽しかった」。忙しい時期が楽しみだった。
 1974年ごろには自宅近くに、住民が共同で蚕を育てる飼育所が出来た。
 「近所の人と一緒に世間話しながら仕事する時間が好きだった。社交場とでもいうのかな。養蚕を通じて多くの人と交流できた」
 しかし、次第に安価な輸入まゆが市場に出回り、養蚕農家を圧迫していった。また、ハウス栽培の人気が農家の間で高まってきた影響もあるなど、同所の養蚕農家の数は次第に減っていった。高橋さんも一九九〇年ごろまで養蚕を続けたが、その後はキュウリなどのハウス栽培に切り替えた。
 「子供のころから続けてきた養蚕をやめるのは決心がいった。近所の人と語らう場が減っちゃうのも残念だった」。現在、同所で養蚕を行うのは一軒しかない。
 養蚕から離れて約20年。「養蚕の時期を知らせるカッコウの鳴き声が聞こえてくると、蚕のことや近所の人たちと一緒に養蚕をやったことを思い出す」
 「もう一度、当時の生活をしてみたい。蚕の成長を見るのも、にぎやかな中でいろんな人と話すのが好きだから」
 生活を支えてくれただけでなく、地域とのきずなを深め、充実した時間を過ごさせてくれた養蚕に感謝している。

(太田支社 松下恭己)