着物 手作りの風合い残る 磯貝 なつさん(89) 富岡市下丹生 掲載日:2006/06/28
座繰り器と機織り機で仕上げた着物を手にする磯貝さん
台所の土間で座繰り器を回し、座敷で機織り機と向き合った。繁忙期が終わり、養蚕のない冬場の作業。磯貝なつさん(89)は手作りの風合いが残る着物をいまでも大切に保管している。
「みんな座繰りで糸をとったんだよ。それで機を織ってね。その絹を紺屋にやって染めてもらって着物を作った。みんな自分で縫った着物を着たんだもの」
養蚕農家に嫁いで、初めて本格的に作業に携わったという。
「うちではいくらかしてたけどさ、お蚕をあまり見たことなかった。機織りの会社に出てたからね。それで『桑くれろ』って言われたから一生懸命くれたら、みんな病気になっちゃった」
当時の掃き立て回数は年3―4回。良質な繭は出荷され、汚れたものや規格外の大きさの繭は手元に残る。見よう見まねで着物作りを始めた。
「大きい鍋の中に繭を五粒とか決めて入れて、一つ減ったらこう入れてね。粒(繭の数)を決めてとるわけ。10粒ぐらいでしたかなあ、うちで使うんだから太い糸にした」
養蚕農家として繭は1粒も無駄にしない。汚れた繭は座繰り器で生糸になり、形が大きい繭は真綿に姿を変えた。
「かすだけで作るんだよ。いい繭は出しちゃうからそんなにはできない。でも、女の子には着物とか、長じゅばんとかいろいろ作ってくれたんだよ。昔は布団なんてなかったろう。1年で10枚ぐらいこしゃったよ。染め粉買ってきて絞りで染めてね」
当時貴重だった生活用品は余った繭でまかなってきた。
「繭から糸とって機織って縫うなんて、うちぐらいしかしてなかったよ。そういうことするのが好きだったんじゃないのかねえ」
座繰りや機織りは若い時にしかできなかったが、10年前まで現役で養蚕を続けていた。刻まれた記憶が色あせることはない。
「80(歳)まで飼ったんだよ。昔は忙しくって、それこそ1日も休むことなかった。一生懸命、お蚕したんだ。冬に着物を作ったり、仕事がいっぱいあって楽しかったんだのう。いまは暇で困るじゃない、用がなくてさ」