真綿かけ 繭を煮る作業が重要 黛 静枝さん(83) 安中市松井田町上増田 掲載日:2006/06/23
真綿を手にする黛さん
繭玉を一つ一つ手作業で、薄く引き伸ばして作る真綿。「糸とり一年、真綿かけ三年」と言われるように、良質な真綿を作るには熟練した技術が必要とされる。
「真綿かけをしていると、年に4回も5回も繭を出荷していたころを思い出すんですよ」。養蚕を営んでいた黛静枝さん(83)は、真綿を作り続けて60年近くたつ。80歳を過ぎた今でも、知人に頼まれると精を出す。
「はんてんや布団に入れると、とにかく温かい。冬は靴下の中に入れてももいい。汚れたら洗える。風邪をひいたときには首の回りに巻いたりもしました」
農家に生まれたが、本格的に養蚕に携わるようになったのは、都内での看護師を経て現在の家へ嫁いだ26歳の時。「3階建ての母屋では2階で蚕を飼い、3階で繭棚をつるしていた。実家にいたころとは扱う量がけた違いで大忙しだった」
出荷できない繭を利用し真綿かけに挑戦した。「見よう見まねで始めたが、もともと根気のいる仕事は好きで、すぐに夢中になった」という。
重曹を入れた熱湯で、繭を煮る作業が重要という。
「煮る時間が長過ぎると弾力がなくなるし、短いと伸びない。ころあいが難しい。うっかりして駄目にしてしまったこともあった」
煮上がった繭をすすいで、一粒ずつ手で広げていく。「均一に広げるのが難しくて、最初は端の方ばかり厚くなってしまった」と話す。
毎年夏が来ると、33年前に23歳の若さで亡くなった長男の八朗さんを思い出す。「登山が好きで、冬に八ケ岳に登ったきり戻らなかった」
「半年過ぎた7月になって、ようやく遺体が見つかった。夫が現地で荼毘(だび)に付して遺骨だけ持ち帰った。でも蚕の世話以外に田んぼや畑が忙しくて、正直なところ悲しみに暮れている間もなかった」
夫の直躬(なおみ)さんも9年前に亡くなり、桑畑だった母屋の前は、今はジャーマンアイリスが花を咲かせる。
真綿づくりは続けていくつもりだ。
「地域の祭りで、真綿を並べていると『ああこの手触りだ』『懐かしいね』と言ってくれる人が多い。やめるにやめられなくなってしまいました」