絹人往来

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蚕神 信仰の歴史を後世に 角田 尚士さん(72) 渋川市赤城町樽 掲載日:2007/06/22


県内の蚕神の歴史を探究する角田さん
県内の蚕神の歴史を探究する角田さん

 「榛名山や赤城山などに囲まれた群馬では、昔から5月になるとヒョウが降ったり、遅霜が来て桑の葉がみんなやられることがあった。そうすれば1年の稼ぎがパーになる。だからだろう。1年の無事を祈って蚕神を祭る石像が県内の至る所にある」
 旧赤城村の非農家に生まれた。自身も放射線技術士であり、養蚕業に直接のかかわりはなかった。
 「中学時代の社会科の先生が歴史に興味を向けさせてくれた。高校時代から趣味で山登りと写真撮影を始めた。日本石仏協会に入り、活動を続けるなかで蚕神の写真も自然にたまっていった」
 蚕神に目を向けたのは勤務先のがん病棟の入院患者を励まそうとしたのがきっかけだった。
 「身近なところにいる神様を見て、気晴らしになればと思った。地元の患者さんが知らなかったり、自分でも数が多いことに驚いた」
 あらためて数えると37体の石像が県内各地にあった。今年5月には新たに3体を確認した。
 「子持山の中腹に老夫婦と娘をかたどったものを見つけた。平らな土地が少なかったため、その辺りを開墾して養蚕を行っていたんだろう。今でも土地の人が年に1回、祭りを行っている」
 渋川市赤城町棚下の岩壁沿いの石像が確認した中で最も古い。江戸時代の天明4年(1784年)に彫られたと刻まれ、願主は惣村中(全村人)とある。
 「石の1部だけを削って浮かび上がるように彫る半肉彫り。6本の手には桑の葉やはかり、糸巻きと養蚕用具を持っている。馬に乗っているのは、養蚕の機織りで信仰される馬鳴菩薩(めひょうぼさつ)と習合していたためだろう」
 現在も週3日、放射線技術士として現場に立ち、後進の指導を行う。空いた時間で、県内の山々を巡っている。
 「20年ほど前に、県教委が中心になってさまざまな石像の調査が行われたが、当時の関係者で亡くなられた方も多く、忘れ去られようとしているものが多い。回りの草を刈り、掃除をするなど少しでも保存、継承の力になりたい」
 今秋には赤城町の歴史資料館で講演を予定している。1人でも多くの人に蚕神の歴史を伝えるつもりだ。

(渋川支局 田中暁)