絹人往来

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絵絣 組み合わせに苦労 吉田 勝江さん(67) 伊勢崎市柴町 掲載日:2007/05/16


自ら手掛けた額を手に絵絣の苦労を語る吉田さん
自ら手掛けた額を手に絵絣の苦労を語る吉田さん

 伊勢崎絣(かすり)製織部門の伝統工芸士。伊勢崎市除ケ町の平田達男さんが経営する機屋「平達」の織り子として絣製造の最終過程「製織」を手掛け、トラやタツなどさまざまな図柄の掛け軸や額を作っている。
 「ただ織るのではなく、買う人の身になって織ることが大事。そのためには体力も精神力も必要なんです。5年前に新しく作った6畳の作業場が気持ちを高めてくれる。毎日少しずつ、注文に間に合うように丁寧にやっている」
 絵絣は絹糸を先に染めて絵になるように織り上げる。経(たて)糸と緯(よこ)糸を並べて型染めする「併用絣」の技法を使うのが一般的だ。
 「経糸と緯糸の両方に絵柄が染められているため、組み合わせがずれないようにしなければならない。まして糸は天候に左右されるからね。ストーブで調整するなど、いつも細かいところに注意して気が抜けないんだよ」
 同市太田町に生まれた。1963年に結婚して柴町に移り住み、機織りを始めた。実家も養蚕や機織りをしていたが、柴町を含む同市南部は特に盛んだった。
 「近所では、朝から晩までガタンゴトンという織機の音が響いていた。朝4時ごろから聞こえる時もあり、目覚まし時計の代わりになっていた。みんながやっていたから当たり前のように始めたんさ」
 後継者不足から機屋は次々と店をたたみ、下職も減った。今では町内唯一の現役だ。着物の需要が少なくなってからは織る物も掛け軸や額、ネクタイへと多様化した。
 「着物を作れば売れる時代は終わり、手法を変えなければならなかった。しかし、さまざまな商品に絣の技術が使われ、多くの人の手に渡るのは良いこと。形は変わっても、絣に込める気持ちは変わらないよ」
 2004年、天皇、皇后両陛下が県庁を訪問された際、手織り技術を両陛下の前で披露した。伝統工芸を実演したのは県内で5人だけだった。また、県庁での伝統工芸品展への出品や機織り教室の講師としても活躍している。
 「絣の高い技術を後世に少しでも伝える手助けができればうれしい。もちろん、絵絣づくりも元気でいる限りはずっと続けていくつもり」

(伊勢崎支局 堀口純)