絹人往来

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樅の木大尽 桑の葉積み、馬出入り 小渕 泉さん(66) 中之条町大道 掲載日:2006/09/16


「里帰り」して古い家を守る決心をした小渕さん
「里帰り」して古い家を守る決心をした小渕さん

 三国街道から大道峠を越え吾妻路に足を踏み入れると右手に樹高40メートル近い樅もみの木が見える。
 「敷地に生えているこの木に由来して『樅(もみ)の木大尽(だいじん)』と呼ばれ、昔、樅の木は旅人の道しるべとして親しまれてきた」
 先祖は山林と水田を所有して農林業を手広く経営していた。自宅は総床面積300平方メートルの木造2階建てで、2階が蚕室。
 「蚕は欠かせない現金収入で、1階には蚕を飼ったと思われる棚の跡がある。2階は養蚕専用だから、なにも無いのっぺらぼう。今は座繰りや糸巻きが置いてある」
 寒冷地のため、蚕は年3回しかできなかった。
   「家には2頭の馬がいて、養蚕の時期に裏の土手から2階に橋を架け、桑の葉を背に積んだ馬が出入りしていた」
 養蚕の主役は女性。父親を小学6年の時に亡くしているだけに母親の忙しそうに働く姿がより鮮明に残っている。
 「おふくろは、蚕が始まれば1カ月はろくろく寝ていなかったと思う。冬になればなったで出荷できなかったクズ繭を糸にして機織り。今ならジャンパーといったところだが、はんてんに仕上げてくれた」
 戦後の農地解放などで「樅の木大尽」もかつての勢いは無くなった。
 「それでも、30年くらい前までは、おふくろが蚕を続けていた」
 中之条高校を卒業後、3年間、農業を手伝ったが会社員になった。
 「それから40年間、旧新町や埼玉県内に住み、休暇の時に帰省するくらいだった。27年前におふくろも他界し、この家を処分しようかと思ったが、懐かしくて手放せなかった」
 休暇のたびに無人の実家を訪ね、壊れたところに手を入れたりしているうちに決心した。
 「子供たちを育て上げたらここに帰ろう」
 念願通り5年前に退職して戻った。土台やはりが腐っていたが、こつこつと修理した。
 「ここにいると作業の追い込みに入り『枝繭を作ってどうする。早くまぶしに移せ』という元気なおふくろの声がよみがえってくる。この樅の木の下で、できる限り、この家を守ってゆく」

(中之条支局 湯浅博)