絹人往来

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段々畑 伝えたい先人の勤勉さ 石井 修哉さん(68) 南牧村星尾 掲載日:2006/12/29


「段々畑や住宅から日本人の勤勉さを感じる」と話す石井さん
「段々畑や住宅から日本人の勤勉さを感じる」と話す石井さん

 築100年以上の住宅が立ち並ぶ南牧村星尾の仲庭地区。集落にある家の多くが、明治20年ごろの大火事以降に建築された。
 「明治時代の火事で集落のほぼすべてが焼けたという。今ある住宅は養蚕の先進地見学で訪れた場所を参考に、建築されたものだと聞く。おそらく六合村ではないだろうか」と、黒くすすけた柱を見上げた。
 中学校を卒業してから約30年、養蚕農家として働いた。物心がついたころから、蚕の世話を手伝った。
 「お蚕中心の生活だった。蚕の保温のために、家の中で薪をたいて、家の柱は煙で真っ黒。都会から人が来るとたまげたもんだ」
 春、夏、晩秋の3回の蚕が繭を作る季節となると、7間20畳ある1階部分が蚕で埋め尽くされたという。
 「子供のころは、『とにかく広い家』としか思わなかったが、一つ一つの部屋が広いため蚕棚を設ける必要がなかった。高く蚕棚を重ねると、作業で背伸びをして体を痛める。それも計算し、設計されていたと思う」
 急峻(きゅうしゅん)な山間地にあり、「米は一粒も育たない」といわれる仲庭地区。住民たちは、山を切り開き、石を積み重ねた段々畑で、桑やコンニャクなど農作物を育てた。
 「石垣から水や土がこぼれないよう、大きな石と石の間に、小さな小粒の石を詰める裏詰めが大切。この石垣にそって桑の木を植えると、石の持つ熱で大きく育った」
 桑の収穫期には、集落の人々が総出で働いた。石井さんは、約1.5ヘクタールの土地で桑を育てた。収穫した桑は、カゴや一輪車で運んだ。
 「うちの家の1階裏口は畑に面し、2階と3階の入り口は道路へ直結する。効率良く物を運びやすいように出来ている。土地の不便さがあるだけに、多くの知恵が設計に生かされている」
 重要伝統的建造物群保存地区に指定された六合村赤岩地区を例にあげ、「昔からあるものに新たに価値を見いだすのは良いこと。段々畑や住宅など、先祖が築いてきたものから日本人の勤勉さを感じる。失われるのは、もったいない」

(富岡支局 三神和晃)