絹人往来

絹人往来

整経仮織り 絵柄の完成度に直結 金井 孝雄さん(71) 伊勢崎市馬見塚町 掲載日:2007/1/4


十分に手入れされた整経機の前に立つ金井さん
十分に手入れされた整経機の前に立つ金井さん

 自宅作業場にある手入れの行き届いた直径1.5メートル、幅2メートルの整経機は今でも現役。スイッチを入れればすぐに動きだす。
 織物を織るのに必要な長さの経糸(たていと)を取りそろえることが整経で、「経(へ)る」という。仮織りは整経した糸がばらばらにならないようにしたり、一本一本の糸が重ならないようにすること。「仕事は3年前にやめた。でも昔からお世話になった人に頼まれれば糸を経る。やめたというより休業中です」
 伊勢崎絣(がすり)は各工程ごとに独立した分業形態をとる。携わってきた整経仮織りは型紙捺染(なっせん)の直前の工程。出来の良しあしが伊勢崎絣の命ともいえる絵柄の完成度に直結した。
 「捺染職人の作業に支障のないよう常に気を配った。それでも苦情はきた。ずっと緊張の連続だった」
 整経仮織りの仕事は12年前に亡くなった父、馨さんが1954(昭和29)年から始めた。
 「伊勢崎絣の中でも経糸と緯糸(よこいと)を並べて型染めする併用絣の技術を使って、図柄を合わせながら絵画のような作品に仕上げる絵絣で有名な平田達男さん=伊勢崎市除ケ町=に勧められた。勤めていた伊勢崎市内の毛織りの会社をすぐに辞めて見よう見まねで手伝った。19歳でした」
 「最盛期には十数人でもこなせない仕事を一手に引き受けて、来る日も来る日も来る日も夜なべで働き続けた。今思うと夢のようです」
 頑張れば頑張った分だけ給料がもらえる、そういう時代だった。
 「能率を他の業者の2倍にしようと、回転速度を上げることができたり、通常は200本だけど450本の糸を経ることができる整経機を導入した。当時、伊勢崎には20軒を超える整経屋さんがあった。その中で最高の技術を目指してさまざまな工夫もした。糸を引き出す糸巻きから整経機までの距離によって糸がつったり、緩んでしまった。糸に『つり』や『緩み』があると絵柄にゆがみが出た。それをなくすために距離の調節には苦労した」
 「糸を経る作業をしていると、仕上がりがうまくいかないと予想できることがあった。作業を途中でやめることは大変なので、そのまま続ける業者がほとんどだった。でも途中でやめた。いい糸を作ることだけを考えた」
 それが取引先との厚い信頼につながり、仕事をやめた今でも「頼みます」と言われる関係につながっている。
 「工夫もした。努力も重ねた。それに捺染の職人さんや機屋さんなど多くの仲間に支えられて、伊勢崎で一番の整経屋になれたと自負している」
 整経仮織りに熱意を持ってひたむきに精進してきた思いが、今でも胸にある。

(伊勢崎支局 田中茂)