繭検定所 9段階で厳格に検査 高橋 栄志さん(73) 前橋市天川大島町 掲載日:2006/12/19
自宅で資料を広げ、製糸について語る高橋さん
「修理のとき、ボルトを見ただけでどんなナットが必要か、瞬時に判断できるほど器械製糸を熟知していた。この人さえいれば、製糸工場は動かせるよ」
共に汗を流したかつての部下は、高橋栄志さんを今でもわが事のように自慢する。
器械製糸の知識や繭から糸を取る技術にかけては、養蚕が盛んな県内でも右に出る人がいないほどの腕利き。前橋市上大島町にあった県の繭検定所と製糸技術センターで力をふるった。
もともとは民間製糸会社の第一線で働いていたが、経験を買われて1968年に県の職員に転身。「現場の実情や職人の気持ちが分かる」と、工場関係者の信頼も厚く、退職する94年まで、県の蚕糸業を支え続けた。
「県全体の製糸業を見るようになってから、視野が広がったように思う。当時は迷いもあったが、やりがいのある仕事を任せてもらえたし、転身して良かった」
かつて、繭の出荷には繭検定所での厳格な品質検査があった。評価は最高の「5A」から最低の「E」まで9段階。これによって繭の価格が決まるため、業者や生産者が最も緊張する一瞬だった。
「検査する側は公平中立が大原則。良い評価も悪い評価も冷静に下さなきゃいけない。それでも、天候不順が続き、いい繭が生まれなかった年は、低い評価ばかりになって気が重くなったね」
やがて、全国的に製糸業が衰退する中、厳格な検査は業者にとって次第に重荷になっていく。
93年、より簡単な検査法を導入しようという動きが全国的に高まり、養蚕が盛んな群馬が中心となって検査法をまとめた。その時まとめ役を担った。
「項目を減らして、1回1時間かかっていた検査時間を半分に短縮した。負担が少なくなったと随分喜ばれたよ」
退職後も知識と技術を必要とされ、多忙な毎日。今は旧官営富岡製糸場に残る器械の解説書の執筆を依頼され、取り組んでいる。
「本当は家でのんびりしたいんだけど、この道で世話になったからね。体が動く限りは、養蚕に携わって恩返ししていきたい」