絹人往来

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手工芸 繭の美しさ花で表現 栗原 芳子さん(76) 太田市新田大根町 掲載日:2007/05/22


シルクフラワーの創作品を前にする栗原さん
シルクフラワーの創作品を前にする栗原さん

 絹の消費拡大につなげるため県内各地の養蚕農家の友人とともに、15年ほど前から、シルクフラワーなど絹を素材にした手工芸を始めた。
 「素材の繭の美しさに、鮮やかに色づけされた花びらや葉は、本物のようでまさに芸術品だ」
 卵形の繭玉を切り、手工芸用ボンドを使って張り合わせ、花の形にする。カーネーション一輪作るのに初めは何時間もかかったが、今では30分あれば作れるようになった。着色するのは花の形にする前。自宅の鍋に繭と染料を入れ、好みの色に染め上げる。
 「技術が上がると、創作のレパートリーも増えた。結婚式に胸につけるコサージュやブローチ、繭人形なども作るようになった。自分より上手な人がたくさんいて恥ずかしいけど、喜んで使ってもらえればうれしい」
 地元の小学校や老人会で指導することも増えてきた。えとやパンダのシルク人形が子供たちに好評だ。
 「子供たちが自分で飼育した蚕の繭を使い、シルクフラワーを作る時があった。自分たちの繭から、きれいな花ができると子供たちの目は輝いていた」
 1952年に夫、弘さん(77)と結婚。2人3脚で米麦と養蚕を担ってきた。最盛期で年5回を数えた繭の年間生産量は2トンを超えるほどの大農家だった。90年に弘さんが大日本蚕糸会から贈られた「養蚕功労賞」は夫婦の誇りだ。
 東毛地区の養蚕農家の女性でつくる「東部養蚕婦人クラブ」の代表も務めた。
 「忙しい時期は午前4時に起き、桑の葉を摘む作業に取り掛かった。朝早く葉を取らないとしなびちゃうからね。1日3回、蚕に桑の葉を食べさせて夜の作業が終わるともう9時になる。ほかの家事もあったから寝る間も無いほどだった」
 地域の養蚕離れとともに、4年前に辞めたが、戦後の地域を支えてきた産業が養蚕だったことに誇りを持っている。
 「繭玉にはぬくもりがある。子供たちにシルクフラワーを教えるのは、養蚕や繭のことを少しでも知ってほしいから」

(太田支社 塚越毅)