絹人往来

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共同飼育所 自慢の桑刻機“80歳超” 斉藤 茂雄さん(77) 太田市薮塚町 掲載日:2008/07/30


祖父の代からの桑刻機を今でも大切に使う斉藤さん
祖父の代からの桑刻機を今でも
大切に使う斉藤さん

 子供のころ、家の近くに県内初の稚蚕共同飼育所があり、養蚕業を営んでいた祖父に連れられ作業を見学に行った。「高床式の建物で、その広さに驚いた。いたずらばかりしてよく小言を言われたものだ」。その共同飼育所は戦争中に養蚕が一時中断された影響などでなくなってしまった。
 長男ということもあり、祖父や親たちがやってきた養蚕業を受け継いだ。「蚕を飼わなければ農家じゃない」という環境で育てられ、ずっと蚕とともに生きてきた。
 現在、妻のトシ子さん(69)とともに年に3度、春、夏、晩々秋に飼育している。家に蚕がいるときは、午前5時から午後8時まで飼育小屋と桑畑の間を行ったり来たりの毎日となり、「体力づくりや健康のためになっている」。
 自慢の農機具は祖父の代から80年以上使っている桑刻機。「共同飼育所で使っていた物と同じ物を購入した。貴重な農機具で、よく譲ってほしいと言われるが、祖父や親の形見のような物なので手放せない」と、今でも大切に使っている。
 「よい設備でたくさんの繭ができるのは当たり前。どうやって金をかけずによい繭を作れるかを考えた」と経費節減にも知恵を絞った。
 「設備が整っていない小屋では、温度と湿度の調節がうまくいかなかった」。小屋の中に水をまいて冷やすなどさまざまな試行錯誤を繰り返した結果、大きな扇風機を付けて換気することで、湿度を上げずに温度を下げることに成功した。
 こういった技術や安定した繭の生産量を評価され、2001年に農林水産局長賞を受賞した。表彰を受けたとき、「養蚕をやっている家がまだ多く残っているうちに開発してくれれば」と残念がられたという。
 受賞をきっかけに5年前、皇居の養蚕所に招待された。そこには子供のころに連れられていった共同飼育所と同じ造りの建物があったという。「大きさや間取りも同じだった。子供のころを思い出した」
 「共同飼育所が自分の原点。養蚕をしていなければ何をすればいいか分からないほど。収穫の喜びを味わうとやめられなくなる」

(太田支社 大塚智亮)