「特産品」の狙い的中 繭クラフト 竹沢 綾子さん(77) みどり市大間々町 掲載日:2006/09/23
自信作を前に繭クラフトの魅力を語る竹沢さん
「昔だったら大切な繭を切ったり曲げたりして花や昆虫を作ることなんてとてもできなかった。クラフトで1個の繭に何十倍もの付加価値を付けられる。自由自在にできて奥は深いし、無限の可能性がある」
全国大会で特別賞に輝いた「野原の貴婦人」を前に、繭クラフトの魅力を熱っぽく語る。
笠懸町の大きな養蚕農家に生まれた。8人きょうだいの長女。「生まれた時から、当たり前のようにお蚕がいた。一緒に成長したようなものです。ものごころが付くころには世話に追われる日々だった」と振り返る。
当時は農家の9割が養蚕を行い、一番の収入源だった。嫁ぎ先も養蚕農家。小麦を収穫すると、すぐに特産の長ニンジンを播種(はしゅ)。その合間に養蚕の作業が次から次に押し寄せてきた。最盛期の昭和40年代には年4回やり、寝る間もなかったという。
外国産の進出による市場価格の低迷と後継者不足で、大間々でも養蚕農家は激減。当時の町の音頭取りで繭クラフトづくりが始まった。「江戸時代から生糸のまちとして栄えてきただけに伝統を残し、できれば土産物にしたいと考えた」
1989年に天井などにできた平面繭で「バラの花」を町共進会に出品したところ、金賞に輝いた。翌年から全国大会で「三段びな人形」「上州八木節祭り」「花咲爺さん」と3年連続「人形の部」で1位、全体でも準グランプリに輝いた。
養蚕婦人部と生活改善グループによって繭クラフト研究会が発足して97年から会長。会員数は60人で県内最大規模だ。
一時、事故で制作から遠ざかっていたが、99年から復帰、受賞を重ねている。
「水墨画の趣味が表情を決める目鼻を描くときに生きた。色は草木染で繭を染色。赤、青、黄色の三原色で色を作るところから始める」
特産品の狙いは的中した。毎年、干支人形を制作して友好都市の鳩ケ谷市に卸すほか、菊花シーズンには「ながめ」で即売し、人気を集める。
小学生に蚕の育て方からクラフト作りまで指導している。
「児童がやっている姿を見ると、養蚕に光が差し込んだ気になる。生命の大切さ、弱者をいたわる気持ちが自然に生まれるはず」