絹人往来

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和裁士 技能継承に力注ぐ 外所 祐子さん(72) 高崎市住吉町 掲載日:2007/05/24


自宅の作業場で一針一針、丁寧に縫い上げる外所さん
自宅の作業場で一針一針、丁寧に縫い上げる外所さん

 和裁に携わって50年余。一針、一針、思いを込めて着物を仕立ててきた。作業場の机の前に座ると、苦しい時も悲しい時も、ほかのことはすべて忘れ、針先に集中している。
 「手縫いの着物はミシンでは出せない良さがある。特に、絹のような柔らかく、光沢のある素材は着心地の良さが違う。着てみれば、違いがはっきりわかる」
 高崎市通町生まれ。「自宅で仕事をしながら子育てができれば」と、1954年に高崎和服裁縫学校(現高崎和服専門学校)に入学した。卒業後、同校講師を務め、62年に紅絹(もみ)を作る染工場へ嫁いだ。夫の知り合いの絹問屋から縫い物の注文を受け、着物を縫い続けてきた。
 69年にできた和裁技能1級検定に合格したことで和裁士として自信を深めた。
 「当時は男仕立てという言葉もあって、その道を究めた人は男性ばかり。検定を受けた人は女性が多く、内職の域を出なかった立場が技能士として認められるようになった」
 現在、高崎和裁教授会に所属、高崎市職業能力開発連絡協議会副会長も務める。
 「最近は海外で縫製される着物も多く、和裁の勉強に来る外国人も多い。でも、日本人にこそ、和裁をもっと学んでほしい。技術を広め、伝えるのが、長年和裁に携わってきた者の義務だと考えている」
 30年前から、主婦を対象に自宅で和裁教室を開いているほか、初心者にゆかた作りを指導するなど幅広い活動を展開。技能の継承に力を入れている。
 今年4月には、幻の染色技法「紅板締め」の着物の復元にかかわった。同教室の生徒を指導し、「たかさき紅の会」が染めた反物から、わずか1カ月で3枚の着物を縫い上げた。
 「紅板締めで染められた絹は薄く、柔らかくて縫うのが大変だった。重ね着も綿入れも、長い間縫っていなかったけど、学生時代に学んだ知識が残っていたので、生徒にいろいろアドバイスできた」
 和裁一筋の生き方はこれからも変わることはない。
 「着る人がどういう人で、どんな気持ちで着るのかを考えながら縫っている。体の線がはっきりでる着物は美しい」

(高崎支社 今泉勇人)