絹人往来

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桑の確保 休む暇もなく収穫 橋本 道雄さん(73) 太田市高林南町 掲載日:2007/1/18


桑の確保に奔走した日々について語る橋本さん
桑の確保に奔走した日々について語る橋本さん

 太田市高林南町で一、二を争う規模の養蚕農家だった。長男が大学生だった40歳代半ばから後半は、年間で1トンの繭玉を出荷。周囲の地元養蚕農家のおよそ3倍にあたる出荷量だった。養蚕で稼げた時代で、どの養蚕農家も蚕を大量飼育したい気持ちは一緒。大量飼育のポイントは桑の確保だったと強調する。
 「大きくて元気な蚕を育てるためには、たくさん食べさせなきゃいけない。ただ、蚕は桑の葉しか食べないから、無くなったら大変。買うったって桑の値の変動の幅は大きくてね。一日で値が倍なんてことだってある。だから、事前にどのくらい桑を確保できるかが大事だった」
 桑畑確保のためアンテナを高くして貸し手探しに奔走した。特に野菜栽培に力を入れていたという旧薮塚本町地区を集中的に回った。借りた畑は多い時で2ヘクタールにもなった。
 「タイミングもよかった。当時は農家の子でも自動車産業や電機産業の関連会社に勤めに出る人が増えた。そういう農家にお願いして借りることが多かった」
 また、「薮塚はよそのうちの畑と自分のうちの畑の間に桑を植えて境界を作っていた。そういう桑の葉をもらっていた」
 シーズンごとに余るくらいの桑の葉を集めていた。仲間の養蚕農家で桑の葉が足りない家に分けたこともあった。多くの桑畑を確保することで、大量飼育が可能になった。加えて、桑不足という万が一に備えた安心感を得た。半面、広大な桑畑の管理やクワの収穫は苦労が多かった。
 「野菜の栽培に力を入れていた薮塚で畑を広く借りてたでしょ。野菜の消毒液が桑の葉について大変な目にあったことがあった。桑を食べた蚕が青い液を吐き出しながら死んじゃってね。それ以来、桑畑の周囲の畑で消毒やるときは1週間前に知らせてくれとお願いに回った。そうすれば事前に桑を刈れる」
 「それと刈る量が多かったから休む暇もなくて大変だった。それでもね、養蚕には一にも二にも桑の確保が大切なんだよ」

(太田支社 松下恭己)