共同飼育所 地域で連携蚕の世話 服部恒二郎さん(74) 大泉町寄木戸 掲載日:2006/07/7
共同飼育所(写真後ろ)について語る服部さん夫婦
幼い蚕を地域で育てる施設、稚蚕(ちさん)共同飼育所。大泉町で養蚕が盛んな寄木戸地区に1963年に建てられた。服部恒二郎さん(74)にとって養蚕をする上で恩恵を受けた施設だ。
「ここで配蚕祝いをやったことが一番楽しみだった。蚕を飼育所で育てて、3齢目ぐらいで各農家に配る。そのお祝いのことで、このあたりじゃ、年に4回配るから、その度にやった。夕方から、みんなが集まって、お酒を飲んだ。歌ったり、踊ったりして、そりゃ楽しかった」
養蚕農家にとって、育てるのが最も難しいのが2齢目までという。この時期を地域で力を合わせて育て、まゆの生産量を上げるのが施設の役割だった。
「飼育所に、みんなが持ち回りで桑をやりにいく。蚕は人間と一緒で1日に3回食べる。最初に朝6時ごろに桑をやって、夜の8時ごろ最後の桑を食べさせる。夜は男2人が泊まって面倒を見ていたんだ。飼育所ができてから、繭がとれるようになったし、失敗する人は少なくなった」と振り返る。
服部さんは、1980年ごろ、年間の繭生産量が1トンを超えて、町内で一番になり、表彰された。
妻のミチエ(73)さんにとっても、飼育所は思い出深い場所だ。情報交換したり、繭の出荷時期を合わせるなど、今は少なくなりつつある「地域の連携プレー」があった。
「配蚕祝いのほかに、みんなで年に1回、旅行に行ったりもした。今は米を作っているが、養蚕をしていた時の方が地域の人たちとの交流があったねえ。友達のところに蚕を見に行ったり、教え合ったりした」
時代の流れで、周辺の農家がやめていく中、最後まで続けたが、1997年、服部さんも見切りをつけた。
「蚕をやっていたからこそ、息子2人を大学に行かせることができた。蚕を育てるには温度や湿度に気をつかって大変。神経を使うから、“神経虫”って言われるほど、蚕は手がかかる。人間の子供と一緒だね」
共同飼育所の建物は今も残り、倉庫として使われている。