蚕影碑 蚕の悲話演劇で再現 岡本 優子さん(59) 高崎市箕郷町柏木沢 掲載日:2006/06/09
演劇の小道具で養蚕を再現する岡本さん
榛名山麓(さんろく)の柏木沢地区に、養蚕にまつわる悲話が残っている。今から百二十年ほど前のことだ。
「春蚕が三回目の脱皮を迎えるころでした。突然、山麓一帯を襲った降ひょうで桑畑が大打撃を受け、食べさせる桑がなくなってしまったんです。村人は穴を掘って、泣く泣くお蚕を土に埋めたそうです」。岡本優子さん(59)は静かに語る。
そのときの惨状を伝えるために建てられたのが「蚕影碑(こかげひ)」で、被害の様子が石に刻まれている。
「長男が小学生のとき、通っていた箕郷東小教諭(当時)の森田哲夫さんが、古老から聞いた話をもとにシナリオを書きました。児童が演じるその劇を見て感動し、いつまでも残したいと、ずっとあたためていたんです」
五年前、本県で開催された国民文化祭に、村人六十人とともに「衣笠(きぬがさ)の会」を結成、自主事業に参加した。そのとき上演した演劇「蚕影様(こかげさん)物語」の脚本を初めて執筆した。
「言い伝えを集めるため、地区のお年寄りにお話を聞きました。当時の惨状とお蚕への深い思いが伝わってきて、胸が詰まりました。さぞつらかったでしょうね」
養蚕農家の長女として生まれ、小さいころから桑摘みを手伝った。背負いかごにいっぱい摘むと、小遣いが五円もらえた。それでアイスキャンデーを買うのが楽しみだった。
「部屋の中で飼っていて、夜中に目を覚ますとザワザワと雨が降っているような音がするんです。お蚕が桑を食べている音なんですね。枕元にはい出してきたお蚕を知らずに踏みつぶして、父親にひどく怒られました。大切に育てているんだと、子供心に感じていました」
そうした経験は、脚本の中で随所に生かされている。小道具もすべて手作り。白い布を袋状に縫い、中に砂粒を詰めた大人の指ほどの蚕を千匹作った。少し離れて見ると本物そっくり。
「養蚕はすっかり廃れてしまい、この辺りでも全く知らない子供が増えてしまった。演劇を通して養蚕の営みや文化を学んでもらえたら、とてもうれしいですね」
(はるな支局 清水信治)