愛着60年灯消せない 樋口 健一さん(71) 吉井町馬庭 掲載日:2007/05/23
天井からつるされた回転蔟を前に養蚕への思いを語る樋口さん
明治時代からの養蚕農家で、周囲の農家が次々と辞めていく中、出荷量は最盛期だった1970年ごろの3分の1以下に減少したが、現在でも春、夏、晩秋の年3回、養蚕を続けている。
「中学卒業したころから手伝っていたのでもう60年近くやっている。愛着があるんだよね」
今は蚕がある程度成長するまで業者に委託しているが、当時は、鐘紡や長野県の蚕種業者から「毛蚕(けご)」と呼ばれる卵からふ化したばかりの蚕を買って育てていた。
箱の中に入っている毛蚕に桑をのせてはい上がってきたところを鳥の羽でろう紙製の「防乾紙」の上にはき落とし、3日ほどして脱皮した後に「蚕座紙」と呼ばれる茶色の紙に移して育てる。
紙に升を書き、成長とともに書き足して飼育範囲を広げていく。桑を食べなくなると、升に区切られた「回転蔟まぶし」の中に1匹ずつ入れて繭を作らせる。
馬庭地域は養蚕が盛んで、ほとんどの農家が養蚕に携わっており、62年ごろには共同飼育所も建設した。当初、組合員は60人。専門の指導員から飼育の講習を受けるなどして効率よく生産していた。桑が足りなくて埼玉の児玉地域まで取りに行ったこともあったという。
輸入品や化学繊維などの流通により繭の単価が下がって次第に採算が合わなくなり、飼育所は15年ほど前に閉鎖。この地域で養蚕を続けているのは、今では3軒になっている。
近くの小学校の子供たちが社会科の授業で見学に訪れ、興味深そうに見て回る。
「子供たちに養蚕の実物をこれからも見せていきたいが、採算が合わないことは分かっているからあえて息子たちにやるよう勧めることもできない」
しかし、強い思いが養蚕を続ける原動力となっている。
「蚕の時期になるとまた頑張ろうという意欲が出る。このまま養蚕の灯を消したくない。自分がやれるうちは続けていく」