絹人往来

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人工飼料 病気抑える研究に力 宮沢 福寿さん(72) 前橋市関根町 掲載日:2006/09/29


「研究者は研究を続けてこそ価値がある」と話す宮沢さん
「研究者は研究を続けてこそ価値がある」と話す宮沢さん

 「使えないと思っていた酸性の桑の葉が、人工飼料にぴったりだと知った時、今でも夢で見るほど、興奮した。国の研究機関に追いつき、追い越したと思った」
 1956年、県蚕業試験場に入庁してから39年間、研究畑を歩み、蚕の人工飼料の開発と普及に力を注いだ。
 「仕事を始めたときは養蚕が最盛期だったが、晩秋蚕が病気でやられる地域があった。実家が養蚕農家だったから、正月前の収入が途絶えるむなしさがよく分かり、何かしたかった」
 餌の殺菌ができ、大幅に労力を減らせる人工飼料を解決策に考えた。だが、各地の蚕業試験場で研究されていたものでは蚕が均一に育たず、費用面でも実用的でない。農家が気軽に使える飼料の開発が必要だった。
 限られた研究費の中での実験。転機は突然訪れた。生では蚕がよく育たないと言われていた酸性の桑の葉が、人工飼料に最適と発見したのだ。
 「悪い結果を検証するために作った。まさか、微生物の発生を抑え、蚕が好んで食べるものになるとは思わなかった」
 桑の葉を30%使うことでコストを下げ、実用化にこぎ着けた。「くわのはな」と命名。晩秋蚕の病気が多かった旧笠懸村で1980年、県内初の人工飼料による稚蚕飼育に成功した。
 「終わった後に地元の組合が感謝状を贈ってくれた。病気の苦労を知っているだけに、何よりもありがたかった」
 「くわのはな」は病気の発生を抑え、餌やりの労力が10分の1に減るため、広く使われるようになった。給餌機や飼育装置も開発し、95年の定年まで、全国を巡り普及に携わった。
 「各地で研究していた人工飼料を売り込みに行くわけで、敵地に乗り込むようだった。農家から病気が無く、豊作で感謝していると言われたときはうれしかった」
 退職後も日本蚕糸学会に10年連続で論文を発表し、個人で養蚕技術の研究を続けている。
 「今、力を入れているのは、小学生向けの蚕の飼育法。楽しみながら観察ができるように、一つの飼料で赤や緑、黄色の繭が作れるようにしたい。養蚕の伝統を未来につなげていきたい」

(前橋支局 田島孝朗)