絹人往来

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お召し しなやかで着心地抜群 霜田 欣司さん(64) 桐生市東 掲載日:2008/02/23


「シルクは手触りが違う」と特製の金華を持つ霜田さん
「シルクは手触りが違う」と特製の金華を持つ霜田さん

 一見何の変哲もない男性用お召し。角度を変えて光を当てると、地色の中に異なる色が浮かび上がる。黒色に青、茶色にはより深い茶。2色の交錯は立体感を生み出す。
 「金華(きんか)と呼んでいる。織りの組織が違うわけじゃない。経糸(たていと)は普通のお召しと一緒だが、緯糸(よこいと)に2色の糸を撚(よ)ったものを使った。特性の撚糸機(ねんしき)で作った特殊な糸。先代から続く看板商品だった」
 織物のまち桐生に1943年に生まれた。父の善次郎さんは前年、「霜善織物」を立ち上げたばかりだった。
 「桐生工業高校を卒業後、八王子の機屋に修業に出た。ウールの着物が流行していたころだった。雑務から織機の動かし方、営業、出荷、何でも勉強した」
 4年後の65年、桐生に戻った。さっそく父の手伝いをはじめた。
 「お召しは女性用が主流だった。夏用の帯も作っていた。織機16台がフル稼働で、外注もしていた。問屋も頻繁に訪れて、まち全体に活気があった」
 「女性用が下火になると男性用がメーンになった。男性用を織る機屋は桐生で数軒しかなく、出荷はぐんぐん増えた。他に比べて割安な金華は、よく買い求められた。昭和40年代前半がピークで、織れば売れた」
 時代が変わり、着物の消費は減少。織機の職人も少なくなった。悩み抜いた末、工場を閉めた。2000年の夏だった。
 「寂しかった。今は外注でポリエステル製の帯を作っている。最近は合成繊維も良くできていて見た目は変わらないが、手に取ると絹とは違う。糸の太さや強さ、しなやかさ。何よりシルクは着心地がいい」
 数年前、桐生織物協同組合を通じて在庫セールを開いた。遠隔地からも大勢が訪れた。
 「織物を扱う問屋、買次商、小売りは確実に少なくなっている。逆に、機屋がデパートなどに赴いてPRするケースが多くなった。織物はなくならないと思う。日本伝統の着物だから」
 「家にはまだ反物が残っていて、昔なじみのお客さんや、うわさを聞き付けた人が今でも買い求めに来る。同業者もうちのお召しを着てくれている。その姿を見ると、やっぱりうれしい」

(桐生支局 五十嵐啓介)