絹人往来

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リメーク 古い着物に新たな命 斎藤 よしさん(62) 甘楽町秋畑 掲載日:2007/07/10


「でき上がった時に楽しく着られる服を」と話す斎藤さん
「でき上がった時に楽しく着られる服を」と話す斎藤さん

 たんすの奥や衣装ケースの底にしまわれていた着物に、新たな命を吹き込んでいる。店に持ち込まれた着物の柄を見て、要望に沿うデザインを考案。糸を丁寧にほどき、裁断して縫製、「世界に1着だけ」の洋服を仕立てていく。
 「冠婚葬祭の服に最低限のしきたりがある以外は自由。お嫁さんは、形見分けされたおしゅうとめさんの着物を着たくないこともあるが、捨てるに捨てられない。洋服に作り替えれば、いつでも着られる」
 和服リフォームを始めたのは7年前。知人に作品展出品を誘われたのがきっかけだった。知人があい染めと洋服を手掛けていたので、「自分は着物を壊して作ってみよう」と考えた。
 17歳で洋裁学校に入り、結婚後も内職を続けてきた腕で製作は順調だった。最初に仕上げた作品の1つは表が縞(しま)の男物、裏にピンクの鮮やかな女物の生地をあしらったコート。周囲から、「いいねえ」とほめられた。
 桐生天満宮の骨こっとう董市に足を運んで着物を探したり、友人に声を掛けるうち、着物や反物を持ち込んでくれる人が増えた。評判になり、富岡市宮本町商店街のチャレンジショップ出店の話が舞い込んだ。手を離れようとしていた子供たちにも「この先は自分のことを考えて」と後押しされた。チャンスととらえ、2002年秋、店を開いた。
 軽くて暖かく、通気性がいいとされる絹を扱ううちに、あかぎれが消えた。タオルや眼鏡ふきにも絹を愛用している。
 「私のおしゅうとめさんと同世代の80歳すぎの人が持っている着物は混じり気がない。桑から着物まで化学物質を一切使っていない分、純粋だ。長じゅばんの絵でも、物語になっている。昔の人は貧しくとも、心が今の何10倍も豊かだったのかもしれない」
 実家は下仁田町。蚕上げなど養蚕を手伝って育った。
 「みんなが苦労して作った着物が捨てられる。本当に欲しいもの、自分に合うものに作り直していくことが重要」
 毎週火曜日に店で教室を開いており、生徒は延べ30人ほど。
 「地元の人たちも、顔を見に来たよ、と店に立ち寄ってくれる。それが私の財産。1番うれしい」

(富岡支局 西岡修)