仕立て 結婚60年自分で晴れ着 田村 トリさん(87) みなかみ町小川 掲載日:2008/05/31
思い出の着物を手にする田村さん
「楽しみながら仕事をさせてもらっているので幸せ。手先を動かしているから、頭にもいい刺激になっている」
沼田市内の呉服店の依頼で、今でも現役で和服を仕立てている。約40年のキャリアで、3200枚以上の和服を仕上げてきた。
「母は糸の紡ぎ方、機織りの使い方、針仕事などいろいろなことを教えてくれた。戦争中は物のない時代だったから、実家ではゲートルや国民服など家族の着る物をよく作っていた」
1947年に養蚕農家の元さん(87)と結婚。元さんは当時の最新技術を取り入れ、規模の拡大に乗り出していた。かごを背負って、山の中の桑畑を1日に何度も往復する忙しさだったが、近所から頼まれると着物を縫っていた。
家族全員の努力の結果、60年代に10年連続で1トン以上の繭を収穫できるようになった。養蚕業が軌道に乗ったころ、裁縫の腕を聞いた呉服店から、初めて本格的な仕事の依頼を受けた。
「子供のころから好きな仕事なので依頼があった時はうれしかった。多くの着物を手掛けるうちに自然と裁縫の腕も上がっていった」
今まで1度もミスをせず、納期の遅れもなかったのが自慢。それでも生地を裁断する瞬間は今でも緊張するという。
「1度でも間違えると反物を台無しにしてしまう。多くの人の手を経て作られたものなので無駄にできない。何度も物差しで測って確認するが、はさみを手にすると手が震えてしまう」
家族で結婚60周年を祝った時、自分で晴れ着を縫った。紺色の生地にクリーム色の千成(せんなり)びょうたんの柄が入った反物。一目で気に入った。
「高価な反物だったがみんなが褒めてくれた。式に間に合わそうと二日間、寝ずに仕上げたかいがあった」
自分の着物を解体して染め直し、新しい着物に仕立て直して家族にプレゼントしている。茶道をする親せきにもはかまを縫った。
「まだ、みんなが頼りにしてくれていると思うと、元気でやらなきゃいけないと思う。着物が家族のきずなを強くしてくれた」