絹人往来

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展示館 培った技術脈々と 長谷川博紀さん(36) 桐生市東 掲載日:2007/07/31


「道具を動かして機械の本当の役割を知ってほしい」と八丁撚糸機を回す長谷川さん
「道具を動かして機械の本当の役割を知ってほしい」と八丁撚糸機を回す長谷川さん

 ノコギリ屋根の工場がそのまま織物の展示館になった織物参考館“紫(ゆかり)”。生糸に強いよりをかける八丁撚糸(ねんし)機、織幅2・5メートルのジャンボ高機(たかはた)、ジャカード手織り機など二千点の織物道具が並ぶ。2人1組で柄を織り出す空そらびき引機を動かして目を丸くする子供も多い。
 「展示の道具はすべて使える。博物館は普通、飾ってあるだけ。素晴らしい道具があっても使い方が分からなければ意味がない。機械を実際に触れて動かし、本当の価値を知ってほしい」
 三重県生まれ。東京で就職、営業マンとして働いていたが、結婚を機に桐生へ。義父の経営する機屋に入り、関連施設の織物参考館を任された。
 「まるで時間が止まっているような桐生のまちを一目で気に入った。義父は『織物を継がなくてもいい』と言ったが、文化、伝統を残したかった」
 年間二万人が同館を訪れる。県内をはじめ、東京、横浜から趣味サークルのメンバー、服飾関係の専門学校生らも来て、手織り、あい染めなどを体験していく。機械工学の基礎を学ぶ学生が顔を見せることもある。
 「若い人たちは織物を知らないが、機はもともと日本産業の礎。物づくりで成功した自動車などの大企業はほとんど、織物業から発展した。業種が変わっても、織物を通じて培った技術は脈々と生きている」
 同館に隣接する織物工場で人形浄瑠璃や歌舞伎に使うお召しを織る。いまは20年ほど前から作り始めた織物カレンダーにも人気が集まる。
 「日本の風土に適した品物は日本で作るのが1番。繭玉からとれる糸も、外国産に比べて日本産は細くて美しい」
 デザイナーたちと一緒に新しい品物を生み出したりする中でも、長年受け継がれてきた伝統の織りがベースにある。
 「機屋は教科書やマニュアルはなく、何百年も前から職人たちが後世に技を伝えてきた。海外に進出する企業も多いが、いったん流出した技術を取り戻すのは難しい。機屋が1度つぶれたら2度と再興できない。営々と続けたい」
 7歳の長女、3歳の長男がいる。後を継ぐかはまだ分からない。
 「もう少し子供が大きくなってから、参考館にある道具を本当に大切なんだと感じてくれればいい」

(桐生支局 五十嵐啓介)