絹人往来

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染色 納得の色求め半世紀余 木村龍之さん(76) 伊勢崎市東本町 掲載日:2007/07/25


染めた糸を手に「伊勢崎絣を守っていきたい」と語る木村さん
染めた糸を手に「伊勢崎絣を守っていきたい」と語る木村さん

 「いい仕事がしたい、売れるものを作りたいと、いつも思っている」
 父親の代から続く「木村染色工場」で伊勢崎絣(がすり)の糸を染める仕事を手掛けている。76歳になった今でも現役だ。子供のころから父親の近くで仕事を見てきて、自然の流れで手伝うようになった。
 「20歳ごろに始めたが、すでに父親が亡くなっており、教えてくれる人がいなかった。職人の技を見て勉強したり、業者の指導を受けたりしながら自分のものにした」
 絣の染めは大変難しい作業。ただ糸を染めるというわけにはいかない。
 「染料の分量や薬品を入れるタイミングを間違うだけで、むらができたり、染まりすぎてしまうこともある。それに、1色だけでは味のある色は出ないから、最低で5色、多いときで7色くらいの染料を混ぜる」
 若いころから仕事に熱心に取り組み、研究を重ねてきた。
 「夜も寝ないでどのように染めようかと考えたこともあった。そういった経験や研究を重ねることが技術の向上につながる。苦労して納得できるものが出来上がったときには、本当にうれしい。機屋からもほめられた」
 伊勢崎の織物は分業で行われる。染めや織りなどさまざまな仕事があり、いくつもの業者を経てようやく完成する。
 「自分の作業のことしか分からないのでは納得いくものは作れないから、伊勢崎絣に関するすべての工程を知ることが大切。ほかの作業の手順も覚えて、さらに織り上がったときにどうなるかを考えて糸を染めることで、良いものができる」
 織物が盛んだったころは、周辺にも染工場がいくつもあった。
 「同業者同士で競争だったから、難しい仕事を好んでやった。技術で勝負しようと、日々努力を重ねてきた」
 「今では染工場もここだけになってしまった。寂しい気持ちもあるが、体の続く限り仕事を続けて、伊勢崎絣を守っていきたい」

(伊勢崎支局 伊草実奈)