天糸体験工房 特産品作りで文化継承 登坂 昭夫さん(64) 中之条町山田 掲載日:2008/04/17
天蚕飼育に欠かせないクヌギの木の畑で天糸を持つ登坂さん
「絹のダイヤモンド」と呼ばれる光沢のある薄緑色の糸に魅せられた。天蚕(ヤママユの別称)の繭を紡いだ「天糸」だ。
「もともとは普通の養蚕農家だった。繭の相場が悪くなり、1970年代半ばごろから、養蚕の新たな道を探し始めた」
そこで出合ったのが、全国で飼育を手掛けているが、生産者の少ない天蚕だった。沢田農協の指導で「山桑研究会」が組織された。
「長野県の天蚕センターへ視察に行った。そこで見たものに魅力を感じないわけでなかったが、従来の養蚕とは飼育方法も違うし、何よりも飼料が桑でなくクヌギの葉であり、簡単に飛びつけるものではなかった」
農家にとっては「これまでの蚕に替わる新たな養蚕」という期待があり、それだけでなく「特産品を生み出したい」という地域の願いもあって、不安を抱えながら研究会のメンバーらが挑戦することになった。
「小指の太さほどのクヌギの苗を100本ほど森林組合から購入し、畑に植え付けた。『山づけ』という、天蚕の種付けができる木に育てるのに5年かかった」
ようやく態勢が整ったものの、これまで体得してきた養蚕技術はほとんど役に立たず、試行錯誤の毎日が続いた。
「1本のクヌギにどのくらいの卵を産ませたらいいのかの見当もつかなかった。最初は、天蚕の幼虫が葉を食い尽くし、餌を求めて、地面に下りてアリに食べられたり、病気になってしまった」
年2回の飼育も試みたが、病気の発生率が高いなど好結果を得られなかった。現在は六月初旬に「山づけ」をして、7月中旬から下旬に繭を作らせる年1回の作業に落ち着いている。
「今は36棟のパイプハウスに千本ほどのクヌギが確保されている。四万五千粒ほど種付けして約半分の二万個ほどの天蚕繭がとれるようになった」
天糸は、京都の工場に送りショールや反物に仕上げてもらっているが、今月から「体験工房」を開設した。
「大型の手織機3台と小型の織機5台を用意した。町の名産づくりを目指しながら、絹の文化を守っていきたい」