絹人往来

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意匠図案 複雑な柄夢中で筆に 香山 安雄さん(72) 桐生市東 掲載日:2007/3/7


当時の星紙を前に、「完成した星紙は絵画のように美しかった」と話す香山さん
当時の星紙を前に、「完成した星紙は絵画のように美しかった」と話す香山さん

 昔から絵が好きだった。そんな理由で繊維の世界に飛び込んで、すでに50年が過ぎた。
 20歳で、意匠図案業を営む親せきに弟子入り。「戦後第二期の織物黄金期」とうたわれ、同級生たちもこぞって繊維業界を目指した。
 「一番夢中になって仕事に取り組んだ時期だった。お召しが盛んな時期で、とにかく勢いがあった。10年間は修業の日々だったけれど熱中していたから、明日が来るのが楽しみで仕方なかった」
 意匠図案業の仕事は、着物の絵柄となる図案をデザインし、それを横糸と経たて糸を表した「星紙」に指定する。
 「星紙には織物に使う糸の本数だけ、けい線があり、筆の先に色をのせてその間を塗っていく。どこに何色を使うかを決めるこの作業は『星をつく』と言って非常に細かかった」
 当時は、左右のみごろに続けて柄を表した華やかな縫い取りお召しの「絵羽羽織」が流行。花鳥風月のほか、ピラミッドやギリシャの古塔など複雑できらびやかなモチーフの仕事が次々に舞い込んだ。
 「一つの柄の星紙を完成させるのに40日かかったことも。絵羽羽織の星紙は全部で8畳分にもなった。けれど、できあがった星紙はまるで絵のように美しかった。出来上がりを見るのが楽しみだったから、もう夢中で星をついたね」
 30歳で独立。最盛期は角帯から洋反まで月120枚の意匠図案をこなしたが、機屋が衰退していく中で仕事も減っていった。
 「意匠図案から絵師、デザイン業と時代の流れとともに仕事の内容は変わった。けれど、ずっと繊維にかかわっていた。どんな仕事もやってこれたのは、単に星をつくだけの『星屋』ではなく、デザインが描けたからだね」
 コンピューターの発展で星紙の役目は薄れ、今は星をつくこともほとんどない。意匠図案業の肩書は「染色デザイン」に変わり、今はスカートなど服地の柄をデザインする仕事を続けている。
 「仕事も職業としてやっているつもりはない。たとえ時間がかかっても、今は自分が納得できるものを作ることが優先だね」

(桐生支局 高野早紀)