絹人往来

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農機具博物館 歴史と誇り次代に 岩崎 安男さん(70) 邑楽町秋妻 掲載日:2007/09/21


繭玉を手に蚕具の前に立つ岩崎さん
繭玉を手に蚕具の前に立つ岩崎さん

 自宅の納屋を農機具博物館に改造し、幼稚園児や小学生に昔の農業の様子を伝えている。農機具の中にはけば取り機や竹かごなど蚕具も多く、養蚕の過程が分かる写真も展示している。
 「昔からこの辺一体は養蚕地帯だった。農家は繭の豊作や家内安全、無病息災などを祈って年末に繭玉を作ったもんだよ。年明けには、おたきあげの火で焼いて食べるんだ。空っ風に吹きさらされた繭玉は、カリカリしていて、せんべいより、よっぽどおいしかった」
 近くの栃木・足利市の徳正寺では今でも年始に、蚕の成長や商売繁盛を祈った繭玉市が開かれている。
 子供のころは毎日、養蚕を手伝った。桑を摘んだり、上蔟(ぞく)の時に蚕を蔟(まぶし)に移したりもした。人手はいくらあっても足りなかったが、もうかった。
 「母親が嫁に来る時は、検査ではじかれた2級品の繭を売ったお金でも金縁眼鏡や金の腕時計を買えたって話だよ」
 繭価格下落などを背景に、高校生のころに養蚕をやめたが、それ以後、約10年間にわたって繭の検査員をした。
 「大きな繭かごからひしゃく1杯分を取って検査するので、どこから取るかで結果が変わった。農家に肩入れをし過ぎれば事務所に怒られるし、バランスが難しかった」
 最近は幼稚園で繭玉の作り方を教えている。保護者にはプリントを配り、養蚕や製糸にまつわるエピソードも話している。
 「養蚕が盛んで“繭と生糸は日本一”だった時代を知ってもらいたい。吉岡村出身の馬場三太夫重久が養蚕の基礎を築いたことや、1872年に開業した富岡製糸場は当時としては珍しいれんが造りだったことを分かりやすく説明している」
 「富岡製糸場も蚕具も、できるだけ残しておくべき。群馬は全国一の養蚕どころだったんだから」
 これからも誇りある郷土の歴史を後世に伝えていく考えだ。

(大泉支局 宮村恵介)