さなぎ 養鯉支えた良質な餌 山岸 昭八さん(73) 前橋市城東町 掲載日:2007/2/6
黙々と後片付けの作業を進める山岸さん
上毛電鉄城東駅西側に水のない石組みの池の跡がある。かつてこの周辺に多くあった養鯉(ようり)池の名残だ。
「広瀬川の水が豊富に使えたから、昔はあちこちに池があってね。群馬のコイは市場でも評判がよく、和食や中華料理で随分使われたよ。コイ料理で知られる長野県佐久市にもずいぶん出荷したんだ」
44年間、食用コイの養殖一筋に励んだ。養鯉業と製糸業の栄枯盛衰を、身をもって体験した。
戦後、コイは貴重なタンパク源として食卓で重宝された。群馬は全国有数のコイ産地。その生産を支えたのが、豊富な水と餌となる蚕のさなぎだった。
「蚕のさなぎは栄養たっぷりで、コイが元気に育つんだ。糸を取り終えたら蚕のさなぎには使い道がないから、格安で譲ってもらえた。蚕は本当に無駄がない生きものだよ」
良質な餌と豊富な水に支えられた群馬の養鯉業だったが、1980年ごろから、衰退の兆しを見せ始める。茨城・霞ケ浦で大規模養殖が始まり、価格の安いコイが市場に出回るようになったのも要因だった。
「安価な人工飼料と、腐らない化学繊維の網が開発されて、大きな湖で大量に飼育することが可能になった。製糸が衰退して、さなぎが手に入らなくなってからは、価格面でまったく太刀打ちできなくなってしまった」
作れば作るほど赤字になるため、規模を縮小したり廃業する業者が続出。旧大胡町などに持っていた池の閉鎖を余儀なくされた。
さらに、近年のコイヘルペスウイルス(KHV)は、養鯉業に深刻な打撃を与え、最盛期には市内に50軒以上あった業者も現在4、5軒まで減少。山岸さんも昨年12月にとうとう店を畳むことになった。
池から水を抜いた今は、玉村町に住む娘夫婦の元で暮らしながら、たまに出掛けては残った道具の後片付けをする日々を過ごす。
「KHV以降、明らかにコイを食べる習慣が廃れていくのを感じる。蚕が支えたもう一つの文化を忘れないでほしい」