絹人往来

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呉服店 魅力引き出す“本物”を 出牛 均さん(59) 吉井町多胡 掲載日:2007/10/27


閉鎖された稚蚕人工飼料飼育センターの前で思いを語る出牛さん
閉鎖された稚蚕人工飼料飼育センターの前で思いを語る出牛さん

 昨年春に閉鎖された吉井町の多野藤岡農協稚蚕人工飼料飼育センターで最後の主任を務めた。卵からかえったばかりの蚕を人工飼料で、ある程度の大きさまで育てて多野藤岡地区の養蚕農家に配布した。
 「センターができた当初は、吉井町だけで1000戸近くの養蚕農家が利用していたが、最後は、多野藤岡全体で100戸に満たなかった」
 親の代から養蚕を始め、養蚕の指導員を目指して1969年に多野藤岡養蚕農業協同組合連合会に入社。同会が解散した後、退職した昨年まで多野藤岡農協で養蚕振興に尽力した。
 同町には、農家が管理する稚蚕共同飼育所が各地域にあったが、繭の価格低下や高齢化に伴い、除草作業などの維持管理が難しくなり、繭の作柄を安定させるため、農協が管理して人工飼料で育てる同センターが87年に開設された。
 「当時は、吉井町にセンターが2カ所あったが、1つは8年ほどで閉鎖された。人工飼料は蚕が育ちやすかったが、しっかり管理して農家に蚕を渡さないといけないから緊張の連続だった」と振り返る。
 センターでは、蚕が病気にならないために徹底消毒し、帽子、手袋、マスク、長靴のほか、全身白い作業着に身をまとい、ようかん状の人工飼料を機械で切削して蚕に与えた。
 「温度、湿度の管理や成長によって餌の量の調節を行い、養蚕時期は、育った蚕を農家に渡すまで10日ほど泊まり込んだ。農家が繭にまで育てて持ってくると、苦労が報われた気がしてうれしかった」
 養蚕振興を図るため、3年ほど前には、以前養蚕をしていた各農家を1軒1軒回って呼び掛けたところ、体調不良などを理由に辞めていた4軒が復活した。
 センターが閉鎖され、多野藤岡の蚕の飼育は、甘楽富岡農協のセンターに委託している。
 「センターが閉鎖され、1つの時代が終わった区切りも感じるが、養蚕業の火を絶やさないようにできる限り農家には続けてもらいたい」
 今も養蚕に対する強い思いは変わらない。

(藤岡支局 林哲也)