絹人往来

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一頓会 「1トン超」農家で構成 友松 実衛さん(66) 高崎市井出町 掲載日:2007/2/20


片倉工業からもらった記念の温度計を手にする友松さん夫妻
片倉工業からもらった記念の温度計を手にする友松さん夫妻

 繭価の低迷や後継者不足、高齢化などから養蚕農家の減少が続いている。旧群馬町でも一昨年は20軒を数えたが、昨年はわずかに12軒となった。
 「いつまでできるか分からないが、元気なうちは続けていきたい」。数少ない養蚕農家としての自負がみなぎる。
 7人きょうだいの長男として育った。家の中は春から秋にかけて、居間から寝室までほとんでお蚕に占領され、隅の方で肩を寄せ合って寝たのを覚えている。
 「朝早くから桑くれの毎日で、子供心にもお蚕がとても大切な生き物なんだということを、知らずのうちに会得していた」
 27歳でミキさん(65)と結婚したのを機に、両親に代わって二人三脚で養蚕の中心を担うようになった。
 「庭に鉄骨造りの蚕舎を建てて、本腰を入れて取り組んだ。春蚕(はるご)に始まり、晩々秋蚕まで5回飼育した。年に1500―1700キロの繭を生産したよ」
 1000キロを超える生産農家で「一頓(とん)会」をつくり、みんなで集まって勉強会を開いたり、研修旅行などを行った。
 「11月の農閑期に出かける旅行は、最高の娯楽だった。それを楽しみに毎年頑張れたのかもしれない」とミキさんは振り返る。
 最近は無理をせず、量より質を心掛けている。製糸会社からの要望に応えて、春は群馬のオリジナル蚕品種「新青白」、夏と初秋は収量や強健性が高い「錦秋鐘和」、晩秋はやはり群馬のオリジナル「新小石丸」を飼育している。
 「いまは年間800キロとかつての半分くらいかな。いい繭が取れるように、工夫しながらやっていきたい」
 平成になって建てた2棟目の蚕舎は、1、2階合わせて100坪(330平方メートル)ある。その二階の壁に大きな温度計が掛かっている。裏側に「昭和52年12月2日 片倉一頓会より」と記されている。
 「収繭量が多かったので、賞品として片倉工業富岡工場からいただいた。記念の品として大事にしている。温度管理に気を付け、これからもいい繭がたくさん取れるよう頑張りたい」

(高崎支社 清水信治)