絹人往来

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古民家再生 養蚕家屋の知恵後世に 兵藤 喜孝さん(45)  昭和村森下 掲載日:2008/09/25


倉庫に養蚕農家の梁や柱を保管する兵藤さん
倉庫に養蚕農家の梁や柱を保管する兵藤さん

 経営する建設会社の倉庫に、取り壊した利根沼田地区の養蚕農家から譲り受けた梁(はり)や柱が500本近く並ぶ。古民家のリフォームに活用するためで、松やヒノキなど多彩な材料がそろっている。
 「5年ほど前に都内の設計士らと古民家を再生するグループを結成し、東京都内や村内でリフォームを手掛けている。微妙なしなり具合やちょうなで削った跡など、それぞれに手仕事の温かさが感じられるのが魅力」
 村内の建設会社の3代目に生まれ、幼少時は近くの養蚕農家の廃屋で遊んだ。高校卒業後、家業を継ぐために東京の土木系の専門学校に進学。そのまま神奈川県鎌倉市の建設会社に就職した。
 「近所も養蚕農家がほとんどで、友人宅に行くといつも2階から蚕が桑の葉を食べる音がしていた。学生時代、岩本駅から自宅に帰る途中、ずらっと蚕屋が並び、その周囲を子持山、武尊山が囲んでいた。それを見ると、家に帰ってきたという実感がわいた」
 鎌倉で4年ほど働いてから実家の建設会社へ。当時は公共工事の請負ばかりで、一般からの仕事の依頼はほとんどなかったという。
 「バブルのころは仕事が一番多かったが、そんな時代は長く続かなかった。仕事に疑問を感じていた10年前のある日、沼田市内で養蚕農家の解体現場に出くわした。太い梁をショベルカーが壊すのを見て涙が出た。『もったいないなあ』と思って。早速、所有者に話して梁や柱を持ち帰った」
 これをきっかけに古民家のリフォームを本格的に始めた。今年5月には村内の築120年の養蚕農家を、床暖房やペレットストーブを使うなどして現代風にアレンジしてよみがえらせた。
 村内には現在、養蚕農家の建物が400棟近く残っている。これを活用しようと、6月に村内で保存、活用に関する研究集会が開かれ、見学会で案内役を買って出た。
 「養蚕農家には1階の天井を低くして蚕室の風通しを良くするなど、人と蚕が共存するための知恵が込められている。まさに生活と仕事が凝縮された建物。こうした建物を多く残すことが、人と自然、産業が共存するためのヒントになるはず」

(沼田支局 金子一男)