専業農家 桑畑の風景に愛着 高橋 文雄さん(73) 高崎市上室田町 掲載日:2007/06/21
自宅前の桑畑に立つ高橋さん
養蚕にも使用している築120年の家に、3世代で暮らす。榛名山ろくに広がる上室田町で唯一の専業農家。養蚕が衰退した現在も、蚕種量で90―100グラムの蚕を年に3回上げている。
「昔と比べれば、飼育所で育てたお蚕を使うようになったので、上蔟(じょうぞく)の時以外は、それほど手間がかからない。養蚕は温度と湿度の関係が難しい。温度を高くして早く育てるやり方もあるが、1日くらい余分にかかっても、風通しを良くして失敗が出ないよう育てている」
JAはぐくみの養蚕部会長として地域の農業を見守る。山里の風景は酪農、桑畑、ハウス栽培など、時代とともに変わってきた。
「高校(榛名高校)を出て酪農をしていたが、自由化でだめになると思い、養蚕に変えた。当時は木材会社にも勤め、朝4時に桑を取ってから会社に出る生活が20年間続いた。お蚕が一段落して信州の温泉に出掛けるのが楽しみだった。昭和30年代のころ、1回のお蚕で90万円になったこともある。このあたりは1面が桑畑だった」
代々、名主格のような大きな農家。戦後の農地解放で土地を手放したとはいえ、自宅のすぐ南側に2・5ヘクタールの田畑が広がる。敷地の一角には、祖父が製糸組合の役員を務めた縁で、同組合から移築した100平方メートルほどの、蚕に桑やりをする小屋がある。
「ここは標高430メートル。畑に出ると、高崎の街が下に見え、とても見晴らしがいい。夜景も見えるしね。どこも休耕地が増えているようだが、桑を植えていれば雑草もそんなに生えてこない」
温和な人柄。桑畑が広がる山あいの風景に人1倍、愛着がある。農業は、野菜づくりに取り組む長男が継いでおり、養蚕はもうやめたらどうかと妻に言われている。
「榛名地区全体でも養蚕農家は6人に減った。けれど、養蚕部会で集まって一杯飲み始めると、みんな何十年もやっているのに、こうした方が能率がいいとか話がつきない。くず繭は近くの別荘に住んでいる人が手工芸用などでもらいに来るので、ただであげている。あと2、3年は続けていきたい」