養蚕の機械化 投資成功 量2、3倍に 中沢 幸雄さん(62) 渋川市八木原 掲載日:2007/3/9
20年前に購入した機械で、今も養蚕を続ける中沢さん
春先。暖房を入れて20度を超えた条桑小屋で中沢さんと妻の幸子さん(61)は汗びっしょりになりながら、蚕の飼育かごへ桑を入れ続ける。機械のモーター音がして次々とかごが目の前に来る。早朝の4時から夜の9時まで、蚕が繭になる直前の期間は桑を手に立ち通しで働いてきた。
「23歳の時に父が亡くなり、5年務めた警視庁を辞めて家業を継いだ。地域で一番若い養蚕農家だった。挑戦する気持ちが強かったから、機械導入っていう投資にも積極的になれた。やっぱり、若かったからね」
農協から、長野で生産された自動滑車機をあっせんされた時は33歳だった。「ちょうど条桑小屋に収まるし、少しでも給桑の作業が楽になればと考えていた。八木原農業組合の蚕の飼育場には40軒近い農家が所属していたが、機械を買ったのは自分だけだった」
県からの助成金など支援もあり、200万円で「信光式」と呼ばれた養蚕機械を購入した。幅は横3メートル、縦4メートル、奥行きが12メートル近くある。上下2段をチェーンにつながれた飼育かごが巡回。飼育スペースは倍に増え、歩き回らずに給桑できた。
「多い年で6回、蚕を育てて出荷した。1回の量も2、3倍に増えた。ともかく増やそう、稼ごうとがむしゃらだった。5年で購入の借金も返せた」。若手養蚕家の投資は見事に当たり、軌道に乗せることができた。
「停電した時には困った。手動で動かせないので、妻に上ってもらい、かごを一つずつ下ろして桑を与えた。いくら便利でも最後は人間の手が必要。周りから楽でいいなと言われたが、やってみないと分からない苦労もある」と振り返る。
今では、40軒近くあった八木原の養蚕農家も中沢さんのみとなってしまった。出荷量は10年前の三分の一まで減った。「換金性の高い作物に転換する機会もあったが、蚕飼いを通してきた。状況は厳しいが、まだまだ頑張らないと」
県内の養蚕農家は後継者の問題を抱えて高齢化し、中沢さんは相変わらず“若手”のままだ。今も機械の調子がよく、購入から20年たっても現役で稼働している。その風景だけは変わらない。