絹人往来

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伝統工芸 絞りの商品育てたい 橋本 徹さん(51) 太田市内ケ島町 掲載日:2007/08/02


絞りの結い綿を手にする橋本さん
絞りの結い綿を手にする橋本さん

 「56歳になったら、原点に返ってもう1度、絞りを本格的にやる。そうでないと、あの世に行ってからおやじに会わせる顔が無い」
 絹の生地に独特の技法で鮮やかな模様を付ける絞り染め。太田市の「橋本絞店」の2代目は、伝統工芸を残そうという強い使命感を抱いている。
 「昔も今も機械を使わない手絞りを続けている。これからも職人の芸に徹したい」
 絞り染め製品の製造、卸業者として有数の出荷量を誇った店は、今や全国の製造業者から卸された有名産地の和服の小売りが主力。しかし、伝統を絶やすまいと風呂敷やハンカチなど絞り染めのオリジナル製品を細々と生産し、店頭で展示販売している。「『絞店』の看板は下ろさない」という言葉に決意がにじむ。
 製品は県内に広く認知され、1997年に「太田の絞り」として、県のふるさと伝統工芸品に指定された。2000年には自身も伝統工芸士の称号を得る。手絞りの基本は生地表面に小さく糸を巻き付けて玉を作り、染色する技法だ。
 「売り上げはいくらにもならない。収益だけを考えたらやめた方がいい。でもそれは近視眼的だし、続けていくことで50年、100年後に必ず評価される時が来る」
 店は父の繁一さん(故人)が53年に創業した。晴れ着姿の若い女性が髪に付ける「結い綿」などの小物づくりがメーンだった。
 「子供のころ、店の手伝いをしていれば怒られなかったからよく手伝った。時には夜10時ごろまでやった」
 結い綿は絞りの模様を付けた絹の生地で、綿を包み込んで作る。最盛期だった70年代後半の出荷量は年間60万本に上った。
 「それがおやじが倒れて店を継ぐと、結い綿の売り上げが毎年3割ずつ減っていった。中国から安い製品が入ったし、流行の変化もあった。店をつぶさないため夢中だった」
 あと5年。和服小売りで収益が安定したら、父から受け継いだ、絞りの伝統工芸を育てていく仕事をする考えだ。
 「絞りの着尺の反物を作りたい。全国の産地と比べても、『太田の絞り』が本当にいいものだと紹介できるような、そんな商品にしていきたい」

(太田支社 塚越毅)