絹人往来

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天皇杯 ねぎらいに感銘 井上 久良雄さん(83) 安中市大谷 掲載日:2007/09/14


昭和天皇に拝謁した際の写真を手にする井上さん
昭和天皇に拝謁した際の写真を手にする井上さん

 80歳を過ぎて今なお、現役で養蚕を続けている。
 「毎朝3時半に起きて、家族の朝食を炊いてから蚕に桑の葉をやる。日が昇ったら涼しいうちに桑を取りに行き、それから朝食を食べる。70年近くこうした生活を送ってきたおかげで、今でも健康でいられる」
 養蚕農家に生まれ、物心ついたころから蚕の世話をしてきた。戦後も途絶えることなく続け、年々出荷量を拡大。安中地区の年産1トン以上の養蚕農家による「1トン会」を創設、共同飼育場の運営などを手掛けた。
 「高度成長期で離農が進んだ時だったが、安中は県内で最も出荷量が多く、450戸の会員農家がいた。現在は県全体で養蚕農家が400戸足らずになっており、隔世の感がある」
 養蚕人生のハイライトは、1982年の農林水産祭蚕糸部門で、農業者最高の栄誉である天皇杯を受賞、昭和天皇に繭の説明をしたことだ。
 当時は長男の豊さん(56)とともに、年間7トン以上を出荷していた。同祭参加行事の全国農業コンクールに、『親子で築いた大規模養蚕』の実施題目で県代表として出場。名誉賞を得て天皇杯の審査に残った。
 「10月に自宅で審査があった。国の審査員だけで10人、ほかにも県の関係者や親類など合わせて百人近くが集まり大騒ぎだった」
 「蚕糸部門での天皇杯受賞は安中初、個人では県内でも初めてと聞いた。これまでの努力が認められて、うれしかった。ますます養蚕振興に尽くしたいという思いでいっぱいになった」
 皇居での拝謁式に繭や蚕を持参し、昭和天皇に説明した。
 「『生きものを扱うのは気を使われるでしょう』などとねぎらいの言葉をいただき、大変感銘を受けた」
 現在も年間1トン以上を出荷。2階建て延べ床面積約800平方メートルの蚕室には、地元の小学生が学習に来るだけでなく、長野や山梨など他県からも見学客が訪れるという。
 「安中は全国的にも養蚕に条件のいい土地。生きている間は何としても養蚕の灯を守りたい」

(安中支局 正田哲雄)