ざる観音 養蚕の守り本尊で信仰 長 宗順さん(67) 吉岡町漆原 掲載日:2008/04/09
ざる観音のお堂の前に立つ長さん
「ざる観音」の愛称で知られる矢落観世音を祭る、吉岡町漆原の長松寺住職を継いで35年目を迎えた。1998年に退職するまでは高校教諭などとの2足のわらじで、養蚕信仰と関係の深い同寺を守ってきた。
「伝説では、焼き討ちから観音像を守ろうと矢に結び付けて放ったところ、桑摘みの乙女のざるに像が落ち、その家が養蚕で成功した。これをきっかけに、養蚕の守り本尊として信仰が始まったとされる。昔はお蚕の当たり外れが大きくて、どこの家の蚕室にもお札が張ってあった」
養蚕が盛んだったころは初秋蚕が8月中ごろまでかかることを考慮し、「10日伸ばし」と称して寺でお盆の時期をずらし、蚕が終わってから盆棚を置いた。また、同地区の小正月にあたる1月14日には毎年、ざる観音の縁日が開かれており、戦時中も途切れなかったという。
「2日ぐらい前から準備を始め、桑摘み用のかごをリヤカーで運び込んだり、見せ物小屋の小屋掛けが行われた。当日は地元の人や親類が年始で来たほか、ざるなど養蚕用具や養蚕のお札を買い求める人でごった返していた。以前は学校が休みになったので地域の子供にとっても縁日は楽しみだった。自分も友達と露店を巡ったのを覚えている」
来客への応対で忙しく、地元の女性はお参りにいけないことが多かったため、かつては旧暦の1月14日にも女性向けに縁日を開いていた。徐々に人出も少なくなり、自然と旧暦14日の縁日は開かれなくなった。
「縁日のシンボルだった桑摘み用のかごは、農閑期に付近の農家が竹を切り出し、内職して作っていた。かごを求める人が減るにつれて出店する人も減り、今ではこの辺りにかごを作れる人もいなくなってしまった」
吉岡町では人口流入が続き、寺周辺も宅地化が進んでいる。縁日には交通整理や駐車場の確保などで苦労するという。
「古い伝統を無くしてしまえば、ただ人が住むだけの思い入れのない町になる。昔から続く縁日を守り、利益でなく心の豊かさにつながる御利益を大切にしていきたい」