絹人往来

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パッチワーク 絹の魅力洋服で再生 牧野 洋子さん(64) 高崎市上里見町 掲載日:2008/05/28


自作のパッチワークのジャケットを手にする牧野さん
自作のパッチワークのジャケットを手にする牧野さん

 義母が残した古い絹の着物を丁寧に裁断して、色や大きさの違う何百の布片を手作業で1枚1枚つなぎ合わせていく。大正や昭和前期の着物が時代を超えて、ジャケットやベストなどモダンな洋服に再生される。
 「亡くなった義母は物を大切にする人だった。こうやって着物をはさみで切り刻んでパッチワークにすることを、義母は喜んでくれているのか、怒っているのか。いつも考えながらやっている。だから小さい布切れも無駄にしないように心掛けている」
 パッチワークを始めたのは15年前。地元の公民館でパッチワーク教室に参加したのがきっかけだった。変化に富む模様を作り出す手芸の魅力にはまり、創作活動にのめり込んでいく。
 「最初は木綿でやっていた。でも生地としてはシルクの方がつやもあって、軽くて、温かい。それで、たんすの中で眠っている義母の着物を使わせてもらうことにした」
 義母の兄は渋谷で呉服屋を営んでいたため、数多くの着物が残っており質も高かった。上質の絹は、洋服に生まれ変わっても、上等なことに変わりはなかった。
 「シルク100%の着物は古くなっても、本当に柔らかな手触り。洋服にしても光沢があり、古さは全く感じられない」
 5年前に日本絹の里友の会に入会。「染め」の講習会などに参加した。年1回開かれる友の会の工芸展には、自信作のパッチワークを出品している。プロ顔負けの作品が、来場者の目を引く。
 「自分の作ったものが大勢の人に見られるのは恥ずかしいけど、やりがいはある。織物や染色、展示される作品はどれもレベルが高いので、負けないように頑張りたい」
 5人姉妹の5女として旧榛名町の養蚕農家で育った。1級品の繭は出荷されるが、残った繭は娘たちの振り袖や訪問着など絹の着物になった。絹の着物への思い入れは人1倍強い。
 「蚕や繭のおかげで大きくなった。だから、小さな布切れを見ても、これは蚕が吐く何メートル分の糸なんだろうって考えてしまう。貴重な絹の魅力を、作品を通して伝えていければと思っている」

(高崎支社 萩原武史)