多段式回転飼育機 導入30年今も“現役” 安達 栄さん(60) 渋川市横堀 掲載日:2007/10/03
多段式回転飼育機の前に立つ
安達さん
「自分が養蚕農家を継いだのは30年ほど前。養蚕の最盛期で、給桑用の多段式回転飼育機が出始めたころ。とても近代的に感じたし、じゃあやってみるかと家を継ぐのと同時に導入した」
農協の近代化資金から2台分の400万円を借りて条桑小屋に設置した。ともに4段に分かれており、縦横とも約3メートル、奥行き20メートル。同じスペースで平飼いの数倍の蚕を飼える。飼育かごが作業をする位置に来ると自動的に止まる機能も備えていた。
「父の代は繭を年1トン近くを出して村のトップ争いをしたが、自分は年2・7トンから2・9トンを出していつもトップだった。飼育機のおかげで倍以上の生産が可能になった」
旧子持村の1トン会で会長を務めたほか、3トンを目指して研究会をつくるなど打ち込んだ。
「飼育機にも欠点があって、平飼いなら桑を入れていくだけでいいけど、機械専用のかごは普通の半分の深さしかないから、食べ終わった桑を除く、うらとりに随分と手間がかかった」
養蚕が忙しい時期にはコンニャク農家の友人たちの手が空いていることが多く、桑集めなどに協力してもらった。
「このころ県は構造改善を進めていて、桑の木の新植を行った。生産拡大の条件が整っていたし、もう少しで3トンというところまで伸びた」
養蚕を始めて5年目。値上がり傾向だった繭の価格が平行線になり、やがて暴落を始めた。
「養蚕では食べていけなくなった。現在は、兼業農家でほそぼそと続けるのが精いっぱい。養蚕を通じて世話になった人も数多く、自分は死ぬまで続けようと思っている」
生産量はかつての6分の1ほどに落ち込んでいるが、2台の飼育機は現役で稼働している。
「30年間ほとんど壊れなかった。油を差せばまだまだ動く。上毛かるたにも繭や絹のことがいっぱいあるんだし、お蚕の灯は消したくない」