絹人往来

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高機修理 機能復元、歴史つなぐ 関衛さん(67) 伊勢崎市柴町 掲載日:2007/08/28


絣の郷市民交流館の高機を調整する関さん
絣の郷市民交流館の高機を調整する関さん

 伊勢崎市の「絣(かすり)の郷(さと)市民交流館」には約30台の高機が並ぶ。歯車や織り上がった布を巻く1部分だけ色が違う。
 「大正から昭和初期の伊勢崎銘仙が盛んだった時代に作られた高機は、いろいろなところが朽ちたり、擦れて使えなかった。5年前の7月から新しい木材や金具、革を使って使えるように修理してきた。使える高機をまねて元の機能を復元したり、使いやすいように工夫して改良した部分もある」
 その年の2月に体験した機織りの感動が、修理のきっかけだった。
 「伊勢崎生まれだから、もちろん機織りは知っていた。でも自分で織ったことはなかった。伊勢崎市観光ボランティアガイドの会・伊勢崎まちガイドのガイド養成講座の一環として1メートルほどのマフラーを織り上げた。その時、伊勢崎の歴史を体感しているような感動を覚えた」
 市民から伊勢崎市に託されたものの老朽化のため、高機は使われることなく眠っていた。
 「高機を見た時、どうにか使えるようにしたかった。使えるようになれば誰かが使ってくれるだろう。機織りの技術を伝えていく手助けになるはず。私がやらなければと強く思った」
 子供のころからものを作ることが好きで、大学は工学部の電気科を出たが、大工仕事はまったくの素人。請け負ったものの失敗の連続、試行錯誤の繰り返しだった。
 「材木を丸く削ることもなかなかできなかった。友人が職業訓練校の校長だったので、いろいろな電動工具を貸してくれた。訓練校の講師に工具の使い方も教えてもらった。もっと難しかった金具は、板金工場や金属加工業を営む友人が作ってくれた。修理した高機は30台を超えた」
 たくさんの人が手伝ってくれたおかげで再び布を織れるようになった高機は今、市内の小学4年生の社会科体験学習や総合学習としての機織りに使われている。ツツジが咲き誇るころ、華蔵寺公園で行われるイベントなど市の多くの行事で、伊勢崎銘仙や伊勢崎の織物の歴史と伝統を伝える役割を果たしている。
 「小学生は年間約1600人がコースターなどを織り上げている。修理した機で布を織っている子供たちの姿を見るとうれしくなる。高機の機織り体験が伊勢崎の織物技術を伝え、織物の歴史と伝統を理解してくれる人を1人でも増やすことにつながれば、こんなに素晴らしいことはない」
 「修理の出番は、まだまだこれから」。伊勢崎の織物に携わる人、みんなの思いだ。

(伊勢崎支局 田中茂)