養蚕と和裁 ものが仕上がる楽しさ 高山 あや子さん(79) 長野原町大津 掲載日:2006/12/13
「子供のころからずっと着物。着物の上にもんぺをはいて桑を切ったり、蚕の面倒を見た」と話す高山さん
「結婚してからは一年中、絹をいじりっぱなしだった。私はシルクに縁があったんですよ」
24歳で養蚕農家に嫁いでから、春から秋にかけて蚕を飼い、残りの季節は着物を仕立てる和裁の仕事をした。
「縫い物が好きだったので、16歳から4年間、東京タワーの下にあった裁縫の学校に通った。卒業して川原畑の実家に帰ってきてからは、川原湯温泉にいた芸者さんの着物を縫っていた。うちは農家じゃなかったんで、『和裁を続けていいならお嫁に行きます』と言って結婚した」
しかし、結婚すると全く養蚕をしないわけにはいかなかった。しゅうとめに仕事を教わりながら、春、夏、晩秋と年に3回の養蚕を手伝った。
「蚕は見たことがあったけど、どういう作業があるか分からなかった。蚕がいつ寝たんだか起きたんだか分からないし、母が桑を1束切る間に私は半束も切れなかった。最初は大変だったけど、飼ってみるとかわいいんですよ、お蚕が。すぐに楽しくなりました」
1年が経つと仕事も覚えた。短い期間で集中的に仕事をする養蚕は、和裁をするのにも好都合だった。9月下旬から5月上旬にかけて和裁の仕事に集中できた。
「問屋さんが1カ月に1度、10反くらい反物を持ってきて置いていった。ほとんどつむぎだったけど、11月も中ごろになると成人式の着物や訪問着を頼まれた。母が紡いだ糸を使って、母や自分のもの、妹たちの嫁入りの着物をつくったりもした」
養蚕と和裁は、結婚してから25年間、両立を続けた。
「養蚕は、まゆが出来上がったときのことを想像すると、どんなに忙しくてもまたやろうという気になった。和裁も楽しみで、夏の忙しいときでも問屋さんが『訪問着を縫える人がいないから、どうしても縫ってくれ』と言われるときは、合間を見て何とか仕立てた」
着物の需要が少なくなった50歳からは、問屋に頼まれて、高機にも挑戦。65歳まで内職で機織りを続けた。
「半世紀も絹に携わってきたが、養蚕も和裁も機織りも、ものが仕上がるというのは本当に楽しかった」