絹人往来

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家事と両立 手間かかっても充実感 広田 清江さん(65) 邑楽町石打 掲載日:2008/02/01


思い出の蚕具を手にする広田さん
思い出の蚕具を手にする広田さん

 「蚕は家にいながら育てられるので、家事や育児をしている女性にとっては良い仕事でした」
 女性が現金収入を得る道が限られていた時代、養蚕は女性が主役で働く仕事の1つだった。
 「夜明け前に起きると、まず蚕の様子を見に行った。室温を18度ぐらいに維持しないと蚕が活動しないので、寒い時は特に温度調整に気を使った。蚕の成長が早い初秋蚕は、子供以上に“お子さん”に手間を掛けた」
 朝は桑をやった後に、家族の食事を用意。昼間は、桑やりなど蚕の世話をしながら掃除や洗濯。養蚕と家事を交互にやり、子供も目の届く範囲で遊ばせていた。
 蚕は手間がかかったが、力を掛けただけ立派に成長した。産量を増やすために多くの努力をした。
 「蚕に広いスペースを確保したり、温度を一定に保ったり、人には負けまいと思って一生懸命取り組んだ」
 嫁に来てすぐに義母が亡くなり、養蚕をすべて任されたこともやりがいにつながった。
 人手が必要な上蔟(ぞく)の時には義父の友人に手伝ってもらった。上蔟後には宴会をするので、近くの鮮魚店から刺し身を取り寄せたり、煮物を作ったり。ただでさえ忙しい上蔟がさらに忙しくなった。
 「普通は蚕が透明になる“ひき”がきてから順番に蔟(まぶし)に上げていくんだけど、みんな仕事を終えて早く宴会で飲みたいから“ひき”が来てない蚕もどんどん蔟に入れてしまう。だからうちの蚕は繭になるまで余計に時間がかかった」
 30年ほど前、義父が倒れ、看病をするために養蚕を辞めた。周りの家はしばらくの間やっていたので、上蔟の時は手伝いに行った。養蚕を続けているのがうらやましかった。
 「今も畑仕事をしていると養蚕をやりたくなる。蚕は手間がかかるけど、努力の結果がすぐに出るから本当に楽しかった。完全に生活の1部だった。疲れていても蚕を育てている間は体がもったんだから不思議。無我夢中で蚕を育てていた」

(大泉支局 宮村恵介)