絹人往来

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蔟折り機 数年おき補充で作業 武井誠始郎さん(79)  みどり市笠懸町阿左美 掲載日:2008/11/08


わら蔟を作ってみせてくれた武井さん
わら蔟を作ってみせてくれた武井さん

 「20年ほど前、女房の実家からもらってきたものだ。回転蔟(まぶし)から落ちた蚕を、これで編んだわら蔟に入れると、回転蔟よりも早くに口から糸を吐き出し始める」
 数年ぶりに「蔟折り機」を物置の天井裏から取り出し、実演してみせた。
 「互い違いにこう三角形に折っていくと、ほら山形になるだろう」。わらを2本取って折り曲げ針金製のかぎのついた棒に引っかけて編み上げる。手際は鮮やかだ。1枚が21山になる。根気よく編んでいくと、3時間でできあがる。
 「わらはしんだけ使用するので、周りに付いている余分な葉を冬の間に手ですぐって取り除いておくんだ」
 この作り方は、娘時代に折り方を覚えていた妻、あい子さん(78)に教わった。
 1950年代前半まで、繭買いの業者からわら蔟を買っていたが、回転蔟の普及でほとんど使われなくなった。
 「落ちた蚕用に使うぐらいだったが、ストックがなくなり20年ほど前、補充に迫られた。女房が実家にあるはずだと思い出してね。もらい受けてから数年おきに編んでいる。1回に編むのは多いときで五つ。今は飼育量が少ないので4、5年は使える」
 養蚕は父親の代から。「当時はサツマイモ、小麦、陸稲が主で、養蚕は副業程度。桑つめで桑の葉を摘んでくる時代だからそんなに多くはできなかった」
 春、秋、晩秋の3回飼育した。「当時は母屋のほかに畑の中に掘っ立て小屋を建てて育てた。養蚕が終わると壊してしまうんだ」と振り返る。母屋は5月から蚕が中心となる。「畳の間が四間あったが、三間は蚕に占拠された。蚕が育つ時期は六畳一間で家族がごろ寝だった」
 60年代前半からは養蚕専業。このころから専用小屋で育てた。
 「当時は春、遅春、夏、秋、晩秋、晩々秋の6回で、1800から2000キログラムにもなった。今は春と晩秋の2回で年間400キログラムだね」。養蚕のほかにトウモロコシ、露地ダイコンを栽培する。養蚕繁忙期は子供たちの力を借りながらも、夫婦二人で頑張っている。

(わたらせ支局本田定利)