繭のコサージュ 中学卒業祝い手作り 影沢 美代子さん(70) みどり市東町花輪 掲載日:2008/07/23
東中学の卒業生の胸を飾る
繭のコサージュ
みどり市の東中学校卒業式で3年生の胸を飾る真っ白な「繭のコサージュ」。代表を務める養蚕婦人クラブが1986年から続けている恒例の贈り物だ。巣立つ若者にふるさとの心を忘れないでと「バラの花」を手作りしている。
「繭玉の片端を切り落としてサナギを取り出す。中心まで5ミリ残して切り込みを三つ入れ、千枚通しで薄く5、6枚はがしカールをつけて花びらを作る。花のしんになるペップを作り、互い違いに重ねて接着剤でとめて、おしべや葉を取り付けるとできあがり」
山村の東地域でも養蚕農家は激減した。最盛期の1970年代は約600戸の農家の半分が養蚕をしていたが、今では3軒。勢多郡養蚕婦人部の講習会で教わったまゆクラフトも作れる人は数えるほどになった。
「養蚕をやめた家にも手伝ってもらい6人で続けている。なにしろ私が1番若い。目が見えにくくなって、はがすのが一苦労。はがす人、接着剤ではる人と役割を分担している」と笑う。
毎年2月10日ごろ、老人福祉センターに集合。午前9時半からお昼まで作業して一人4、5個作るのがやっと。細かい作業なので根気が要る。
「風前のともしびだが、おしゃべりするだけでもいいからやろうよと続けている。毎年、コサージュを作ると『またがんばらなくては』と思う」
同校の生徒数は少子化と過疎化のダブルパンチで右肩下がり。卒業生はスタート当初150人だったが、今年3月は27人になった。皮肉にも生徒数減少で活動を継続できているのが実情だ。
影沢家は幕末当時からの養蚕農家。夫の政喜さん(72)は「祖父は日露戦争の戦線から、お蚕の具合を心配する手紙をよこした。お蚕のことを『神の虫』と書いてあった」と話す。最盛期の70年代は、2階と小屋の五カ所で春、夏、初秋、晩秋、晩晩秋の5回行った。
「蚕の病気で思うようにならないこともあり、ただ夢中だった。昔は大ごとだとしか思わなかったが、今では楽しくなった。やっと蚕のことが分かってきた。体の続く限り、夫婦二人で一緒にやっていきたい」